ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File128】男たちの硫黄島・・・Bある星条旗(ハタ)の物語【後編】
今や毎度お馴染みになりつつありますが、世間では殺人やら幼児投げ落としやら、火事、ガス漏れと物騒な事が次々に起こっております。日本は一体どうなるんでしょうか・・・考えるのも厭になるので、今回も早速観戦記を始めさせていただきます(今回も書込字数制限が〜汗)それでは【開演ブザー】・・・携帯電話の電源はお切り下さい・・・【いつもの如く当書き込み記事には資料的価値は全くありません・・・(^o^;A】

【ジョー・ローゼンソールの栄光と影】
1945年2月23日午後、摺鉢山から下山したジョー・ローゼンソールは、撮影したフィルムを現像する為、その日の内にグァム島へ送りました。彼の写真は、報道写真として優先的に軍の空輸ルートで運ぶ事が出来たそうです。グァム島において現像された写真12枚の内、2枚は感光していて失敗だったそうですが、残りの写真は無事現像され軍の検閲を通過、翌2月24日土曜日朝7時には、在グァム島AP通信写真部長ジョン・ボドキンのデスク上に届いていました。写真を一枚づつ眺めていたボドキンが、一枚の写真を見て叫び声を上げます・・・「空前の写真だ。これは歴史的な一枚だぞ!」ローゼンソールの撮影した第二の星条旗掲揚の写真でした。ボドキンは、その写真を直ぐにニューヨークのAP通信本社に電送・・・その後AP通信からアメリカ各地の新聞社へ配信され、翌2月25日の全米朝刊各紙一面上段トップを、ローゼンソールの撮影した第二の国旗掲揚の写真が飾りました・・・それは撮影されてから約40時間・・・と言う当時としては驚異的なスピードでした。その後、空前のスクープに対して、AP通信本社からローゼンソール宛に祝福電報が届きますが、当のローゼンソールは、その時どの写真がスクープになったのか全く検討が付かなかったそうです。

※この時、ルイス・ローリー軍曹の撮影した最初の国旗掲揚写真は、報道写真としてではなく海兵隊の公式記録写真として処理される途中で、未だ現像すらされていませんでした・・・その後一週間程の間、他のフィルムと一緒に保管され、結局現像され正式に記録写真として登録されたのは、更に半月も後の事だったそうです・・・

名声には僻みが付き物です・・・星条旗掲揚写真については、当初から一部マスコミ関係者に疑いの目が持たれていました。1945年3月4日グァム島へ戻ったローゼンソールは、他社の記者に「撮影時にポーズを取らせたのか?」と聞かれ、てっきり星条旗掲揚後に撮影したE中隊の「ガンホウ」ポーズ写真の事だと思い「勿論だ」と答えます。この為、タイム誌特派員ロバート・シャーロッドは「ローゼンソールの星条旗掲揚写真はポーズを取らせて撮影したヤラセ写真だ」とし、タイム誌傘下のラジオ番組タイム・ビューズ・ザ・ニュースは「ローゼンソールは星条旗掲揚写真撮影者と言う名声の誘惑に負け、既に掲揚されていた星条旗を再度掲揚させて撮影した」との非難を繰り返しました。その後ローゼンソールは「ヤラセ写真を撮った」「自分が最初の星条旗掲揚写真を撮影したと言い振らした」等の非難を受け、ニューヨーク・タイムス紙はローゼンソールのピューリッツァー賞受賞を剥奪せよ、と主張するまでになります。結局ローゼンソールは絶えず批判の声に晒され、その都度反論を繰り返さなければならなかったそうです。

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01月21日(日)
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