ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File108】観戦記10万ヒット目前・・・Shall We タンク!再び【第一弾】
【防御力】九四式軽装甲車の装甲は8mm〜12mmしかなく、12.7mm口径弾なら約600mから正面・側面・後面・砲塔のほぼ全体を貫徹され、7.7mm口径徹甲弾ですら後部乗降口扉を約300mで貫徹出来た。さらに実戦においては中国軍の小銃弾の直撃によって砲塔側面装甲を貫徹され、乗員が負傷した例もあると言う。
【機動力】中支戦線において日本軍の進撃を最も効果的に妨害したのが悪路とクリーク(水路)と言われているが、全装備重量が約3.5屯の九四式軽装甲車は即席の架橋によって簡単に渡河する事が出来、重量のある八九式中戦車や貨物自動車の様に歩兵の進撃に遅れる事は無かった。装備されたエンジンはドイツ製を国産化した35馬力直列四気筒空冷ガソリン式エンジンで、操縦席の直ぐ横に配置されており、車内からでも修理・調整が可能だった。ただ出力は「大人三人に押さえつけられたら動けない」と言われた程で、出力不足の感が大であったが、整地路面上では最高速度40kmを発揮出来た。初期型ではキャタピラの接地面長が短く超壕・超堤能力が低かったが、改修型でも結局この点は解決出来なかったと言われている。キャタピラは外側ガイド方式と言う、他の日本軍戦車には見られない機構が採用されていた。その為、急旋回や信地旋回をするとキャタピラが外れ易かったそうだ。試験性能上での戦闘行動距離は200kmだったが、燃料補給の乏しい北支戦線の実戦部隊では、燃料混合比率の調整等によってカタログ値の倍以上の400〜500kmは稼動させた例も報告されている。
【その他】九四式軽装甲車は、南京傀儡政権(国民党の有力者だったが1940年3月に重慶を脱出して来た汪兆銘に樹立させた傀儡政権)軍や、同盟関係にあったタイ王国陸軍へ供給・配備されていた。また太平洋戦線でも一部配備されていたが、当時の日本軍主力戦車だった九七式中戦車改ですら歯が立たなかった米軍のM4シャーマン戦車に太刀打ち出来るはずもなかった・・・。
と言う訳で【Shall We タンク!再び】第一弾は如何だったでしょうか・・・九四式軽装甲車って将に一家に一台の軽自動車的お手軽戦車なんですよねぇ、全く・・・さて、まだまだボツ文章・画像はたっぷり残っておりますので・・・頑張ってUPしなきゃ・・・アッ10万ヒット記念バナー作んなきゃ【続く〜ッ(カボスうさぎ風)】
05月08日(日)
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