ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File103】マカロニ戦線異状アリ・・・珍説イタリア戦争映画史《補説》
1945年4月、欧州での戦争は終局を迎えようとしていた。3月23日に英米連合軍がライン河を渡河、4月15日にはソ連軍がベルリンを包囲、戦局は最早ドイツを逃れようのない窮地へと追い込んでいた。そしてドイツの庇護下かろうじて存続していたサロのファシスト政権も潰え去ろうとしていた。4月27日、愛人クラレッタ・ペタッチと共に撤退する独軍に紛れ込んで逃亡しようとしていたムッソリーニは、スイス国境に近いコモ湖畔付近でパルチザンに逮捕され、翌日午後メッツェグラ村ベルモンテ荘において銃殺される。4月29日その遺体はミラノのロレート広場に運ばれ、広場に面したスタンドの屋根から逆さに吊られ、群衆の前に晒された。独裁者の無惨な最後は20数年間続いてきたファシズムの終わりを象徴していた。奇しくもその翌日の4月30日ドイツ第三帝国総統ヒトラーは、ソ連軍包囲下のベルリン総統大本営地下壕において、結婚したばかりの新妻エヴァ・ブラウンと共に自決・・・5月2日、駐伊独軍総司令部は無条件降伏を受諾。ヒトラーの後を継いだ新総統デーニッツは、5月7日フランスの連合軍総司令部において無条件降伏文書に調印し、1939年独軍のポーランド侵攻以来7年に及ぶ欧州での戦争は、遂に終わりを告げた。この戦争によるイタリア軍の戦死24万2千余、戦傷6万6千余、行方不明35万余・・・またパルチザン参加者の犠牲は戦死4万6千余、戦傷2万1千余、国外での死亡3万余、イタリア降伏後に独軍に強制徴用され死亡したイタリア兵3万3千余、最後にドイツ国内の収容所で死亡したイタリア人政治犯8千余であった・・・。
どうです・・・イタリアが戦勝国である事がご理解いただけましたか・・・誇り高きローマ人の末裔たちは、枢軸側として参戦し敗北した事実を、自ら反ファシストのパルチザン運動を展開し、同じ国民同士が血を流し合う多大な犠牲を払って、見事に修正したのでした・・・。徹夜で書き込んだので誤字・誤植が多数あるはず・・・でもご勘弁・・・次回はいよいよ「イタリア戦争映画史」本編に突入だ・・・でも未だ資料集め中なの・・・汗【続く】
02月01日(日)
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