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ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File097】あゝ邦画戦争映画は燃えているか・・・Shall We タンク!【前編】
この『馬鹿が戦車でやって来る』撮影後の愛國八十七号≠フその後の消息は、ネット上からでは知ることが出来なかった。多分製作映画会社である松竹の大船スタジオの倉庫に保管されていたと思われる。ところがそれから6年後、この馬鹿戦車、再び姿を現すのである・・・なんと異なる映画会社の作品に・・・!その作品とは、日活が製作した大作映画『戦争と人間』・・・この『戦争と人間』は日活が社運を賭けて製作した大作である。新興財閥伍代家の人々を中心に、次第に軍部の暴走によって大陸での戦火が拡大していく昭和初期当時の社会を描いた日活スター総出演の一大歴史絵巻かつ大河ドラマ・・・の筈だったが興行的に奮わず、資金難の為に全四部のはずが第三部(1973)で製作が打ち切られてしまった曰くつきの作品(この後日活はロマンポルノ路線へと移行せざるを得なくなる)。無理やり完結編になってしまった第三部の後半はノモンハン事件≠ェメイン・テーマ・・・当時、戦闘シーン撮影の為、陸上自衛隊に協力を要請したところ断られ、ダメもとで旧ソ連のモス・フィルムに撮影協力を要請(山本薩夫監督が左翼系だった為)したら呆気なく許可され、旧ソ連軍から実車のT34/85や火砲、大量の兵員が撮影に借し出された。更に業々ソ連製軽戦車を改造した日本軍戦車を登場させる、と言った将に至れり尽せりの豪華な戦争映画として仕上がってはいるのだが、映画として作りが雑になっているのは認めざるを得ない・・・そうそう馬鹿戦車だが、この戦争映画している第三部ではなく、第二部(1971)のラストシーンにちょこっとだけ登場している。ちょうど昭和12年の蘆溝橋事件≠フ後、日本が中国での泥沼な戦争に踏み込んで行き始めるのを予兆させるシーンで、突撃する日本軍歩兵の先頭を切ってゴトゴト走っている。ところでこのシーンにはもう一両戦車が登場している。その形状からするに、どうやら九十五式軽戦車を意識している様だが、足回りはどう見てもブルドーザー・・・懸架装置なんて見えない。果たしてこの戦車の正体は・・・?この『戦争と人間』の撮影は日活のスタジオで行われていたそうで、馬鹿戦車がそこに持ち込まれた事は確かである。しかし松竹で製作された馬鹿戦車が、どう言う経緯で日活へと移ったのだろうか・・・単なるレンタルなのか、それともスクラップとして譲与されたのか(充分動いているが)・・・たった数分間のシーン・・・実際の撮影はもっと長時間かかっている筈・・・の為に、態々馬鹿戦車を買い取ったのか・・・ネット上で検索し得た情報だけでは、それは解らなかった。この辺の事情をご存知の方・・・激しく情報キボンヌ!それと馬鹿戦車がその後どうなったのか、そしてあのもう一両の戦車の正体は何なのか・・・秋の夜長に謎は益々膨らむばかりである・・・。

名作『馬鹿が戦車でやって来る』のお話、如何でしたでしょうか・・・紋切り口調で話が纏まってないぞ・・・そんな観戦武官諸士のお怒りの声が聞こえてきそうですが、書込字数制限故の処置として、平にご容赦の程を・・・そんな訳で懲りずに戦車≠フお話を【まだまだ続けます】

09月30日(火)
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