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ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File078】戦場の好敵手・・・多勢に無勢【中編Vol.2c】
最後まで白人たちに抵抗し、部族の文化と生活を守る為に戦い続けた偉大な戦士で第一線指揮官、数多歴戦の戦士の中でも最高の勇者だった。1876年6月25日の朝、出撃に際し「ダコタの戦士たちよ。今日は戦うには良い日だ・・・死ぬには良い日だ」と叫んだと伝えられている(しかし死ぬには良い日だ=it's a good day to die≠ヘインディアンの一般的な言葉で、色んな酋長が叫んでいる・・・)。幼少時の名は「巻き毛」。13歳の初陣で敵部族から丸ごと馬を盗む手柄を立てた(馬は最も大切な財産のひとつで、馬泥棒は捕えられれば過酷な拷問の後、残忍に処刑された)。その後も豪胆かつ機敏、更に冷静さによって幾多の手柄を立て、20歳で部族戦士団のリーダーとなり、先祖代々受け継がれる偉大な族長の名「タシュンカ・ウイトコ=狂える荒馬」を父より譲られた。白人との対立が激しくなった1865〜68年頃には、同じく偉大な酋長レッド・クラウド(妻の兄。彼の結婚はシッティング・ブルがお膳立てした、と言われている)率いる部族と手を結び、W・フェッターマン大佐率いる騎兵隊を全滅させるなど、西部に「クレージー・ホース」の名を轟かせた。彼は本来の自然と共存した文化や彼らの生活様式を頑なに守ろうとし、白人の生活や文化を拒み続けた。西部史上最も有名なインディアンの一人ではあるが、現存する写真が一枚も無い(表示の写真は近年発見された、彼が降伏した後に撮影された物ではないか・・・と言われている写真)のは、その顕れだろう。白人との表面上の平和協定(ララミー条約)期間にシッティング・ブル等有名な酋長たちの写真は数多く残されているにも関わらず・・・。リトル・ビッグホーンの戦い後、猛烈な合衆国軍の反撃に遭い、シッティング・ブル達はカナダに逃げ延びたが、クレージー・ホースは1876〜77年に渡りゲリラ的抵抗を続けた。しかし多くの戦士を失い、またバッファロー激減により女子供たちが飢餓に襲われた為、1877年5月6日遂にG・クルック将軍の部隊に降伏した。収監中に特別保護区に移動させられる事になった為、逃亡を計画したが事前に察知され、逮捕・監禁の為の執行官が派遣されて捕えられ、留置場へ連行される時に些細な事から看守と争いになり、その時銃剣によって刺殺された、と言われている。時に1877年9月7日、偉大な酋長であり戦士クレージー・ホース・・・死去。享年28歳。彼の死後、合衆国政府は残ったスー族の酋長たちと交渉し@ブラックヒルズを含む多くの土地の権利放棄A北部での狩猟権放棄B交換条件として合衆国政府による生活の保証など白人側に有利な条約が締結された。これによって「豊かなる実りの大地ブラック・ヒルズ」は白人のものとなったのである・・・。

さて、これでやっと仕込みが終わりました。次回は「多勢に無勢Vol.2」の最終回・・・でもまだVol.3があるって・・・自爆。運命の赤い糸は、すべて「リトル・ビッグホーン」の戦場へと繋がっています。次回「リトル・ビッグホーンの戦い」の真実・・・やぁ、なんかヒストリー・チャンネルみたいだなぁ・・・。ところで、カスターってパットンに似てませんか・・・顔じゃなくて人生が・・・【続く】

03月07日(金)
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