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ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File127】男たちの硫黄島・・・Aある星条旗(ハタ)の物語【前編】
1200時頃、無線通信機予備バッテリー、交換用星条旗を持って電線を敷設しながら登頂していたストランク軍曹の一行が山頂に到着。同じ頃ローゼンソール一行も山頂に到着します。

シュリアー中尉は、最初の星条旗降旗と新しい星条旗掲揚の二つの作業を同時に行うよう部下に指示を出し、新しい星条旗の掲揚をストランク軍曹一行に命じました。ストランク軍曹は、サウスリーとヘイズに旗竿となるパイプを探すように命じ、その間に自らは旗竿を立てる場所を選定・準備、旗竿を立て易い様にブロックに石を積み上げさせました。まもなくサウスリーとヘイズが重さ100ポンド以上もある長いパイプを見つけて来て、その先端にギャグノンが星条旗を結び付けました。その頃山頂には強風が吹いており、星条旗を結び付けた旗竿のパイプが重くなった為、ストランク軍曹は丁度両手に大量の包帯を持って通りかかったジョン・ブラッドリー海軍三等看護兵曹を呼び止め、手を貸すように頼みました。そしてシュリアー中尉の合図で、ふたつの星条旗の掲揚と降旗が同時に行われました。その時山頂にいた他の海兵隊員たちの中で、一分間ほどの旗の交換作業には注目した者は誰もいませんでした・・・それは、この作業が単なる事務的な作業に過ぎず、旗も単なる代わりの旗でしかなかった為で、第二大隊の戦闘報告にも、第二の星条旗掲揚については何も触れられていません。

星条旗の交換作業を準備している海兵隊員たちを見つけたローゼンソール一行は、とりあえず撮影する為の位置を確保します。キャンベル一等兵は山頂から少し下がった位置・・・最初の星条旗のほぼ真下。ジェノースト軍曹とローゼンソール・・・第二の星条旗から約30ヤード離れた場所(二人は殆んど同じアングルで星条旗掲揚を撮影します)で星条旗掲揚の絶好のタイミングを待っていました。この時、身長の低いローゼンソールは、より良い撮影アングルを確保する為に足下に石や砂袋を積み上げていました(彼のカメラは35mmSpeed Graphic・・・シャッタースピード1/400秒・絞り8と18の間でした)。またジェノースト軍曹のムービーカメラには、フィルムが数フィート分しか残っていませんでした。結局ローゼンソール一行は絶好のタイミングで星条旗掲揚シーンを撮影する事となります。この時カメラを岩の上に固定しようとしていたローゼンソールは、星条旗掲揚に気付いて慌て、ファインダー越しに被写体を確認しながら撮影する事が出来ず、撮影に成功したかどうかは確信がなく、ピンボケしているかもしれないと思っていたそうです。

ローゼンソールの撮影した第二の星条旗掲揚写真
ジェノースト軍曹の撮影した第二の星条旗掲揚映像
キャンベル一等兵の撮影した最初の星条旗の降旗写真

第二の星条旗掲揚写真の撮影後、ローゼンソールは山頂にいた海兵隊員たちを呼び集め「ガンホウ」ポーズ(日本軍で言うところの万歳写真)を撮影しています。星条旗掲揚シーンの撮影に自信のなかったローゼンソールは、この「ガンホウ」ポーズの写真こそ本国の新聞の一面を飾るに相応しい写真だと思っていました。そしてこれはキャンベル一等兵が「ガンホウ」写真を撮影するローゼンソールを撮影した写真・・・ローゼンソールが土嚢と岩を積み上げた上に立っているのが解ります。次は「ガンホウ」写真の直前或は直後に撮影された写真ですが、撮影者は不明です。
一時間後、思い通りの写真を撮影し終えたローゼンソール一行は下山しました。シュリアー中尉以下の偵察小隊の海兵隊員たちは、その後四日間を山頂で過ごす事になります。最初に掲揚された星条旗は、その後第二大隊長ジョンソン中佐の下に送られ、大隊指揮所の金庫の中に保管・・・この星条旗は、大隊にとってとても名誉な遺物であり、無防備な状態で放置出来ない・・・されました。第二の星条旗は、掲揚後三週間もの間、摺鉢山の山頂に翻っていて、終いには強風でズタズタになっていました。これら二枚の星条旗は、現在合衆国海兵隊戦争記念館に保管・展示されています。
※画像は現在の第二の星条旗

第二の星条旗掲揚の経緯・・・如何でしたでしょうか・・・しかし二つの星条旗掲揚を巡る物語はまだまだ謎を深めて行ったのでありました・・・【続いてます】

01月12日(金)
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