ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File098】あゝ邦画戦争映画は燃えているか・・・Shall We タンク!【中編】
見ようによっては色々と想像できる。97式?95式?ニニ六事件の実写フィルムを見た記憶では、戒厳部隊の戦車として登場するのは89式である(・・・一説では山王ホテル前に停車している92式重装甲車の写真があるらしい)が、どう見ても89式には見えない。しかしながら97式や95式と言われても納得し難い(前述の販売広告には97式と書いてあるが)。どう見ても砲塔に装備された火器は戦車砲ではなく、機銃だ(そんな事言ったら前回の馬鹿戦車だって94式をモデルにしてるのに戦車砲を搭載してるぞ・・・!)そんな風にアレやコレやと考えていると頭が混乱して来た。睡魔によって思考力も低下している・・・もうどうでもいいじゃん、そんな事(悪魔が耳元で囁く)・・・いやここまで読んでくれた観戦武官諸士の為にも、結論はハッキリ出ださなきゃダメだッ(碇シンジ風/一方で天使が囁く)朦朧とした意識の中で達した結論・・・それが92式重装甲車だった。92式重装甲車・・・騎兵部隊の機械化の為、火力と装甲を犠牲にし軽く高速な装甲車両を・・・との要求を基に、1931年石川島自動車製作所(後いすゞ自動車)が試作、翌32年完成。社内名称「スミダTB型92式軽戦車」・・・満州事変勃発により急遽採用・実戦投入された。しかし運用レベルで武装の貧弱さや重量の軽さによる踏破性の悪さ、エンジンの耐久性の低さという多くの欠陥が指摘された。重量軽減の為、それまでのボルト留め装甲を止めて溶接構造を採用。歩兵用として大型過ぎて不向きだった93式13mm機銃(オチキス機銃の改良型だが威力不足)を車体全面に搭載。当初「軽戦車」という名称を用いる予定であったが「戦車」という名称は歩兵科の兵器名称なので、騎兵部隊として使えず、結局「装甲車」と言う名称を用いた、という変な経緯がある。1933年から量産され、以後1939年まで毎年少数(総数167両)が生産された・・・大工場ではなく中小の工場を中心に手作り≠ノ近い形で生産された為、仕様については個々に多々異なる。特に転輪は初期型は小径ゴム転輪片側四個(懸架ニ組)中期型には六個(懸架ニ組)後期型では中径ゴム転輪四個となっている。民間からの献納車体(愛国号)も多数存在。主に関東軍と朝鮮軍の部隊に配属され、少数編成で歩兵部隊の直協として運用される場合が多く、現役期間も短かかった。1937年以降は多くが95式軽戦車に改編され、一部が二線部隊で後方警戒に使用。車体が縦長で操舵性が悪く、懸架装置の耐久性も弱かった為、94式軽装甲車の方が前線では人気が高かった・・・。
邦画の場合、自衛隊の協力がない限り、国内の撮影で本物の戦車を登場させるのは困難な事は前回も書いた。そこで製作スタッフが苦労して撮影用のプロップ=ハリボテ戦車を作り上げねばならないのだが・・・その結果この「226」では、紹介した様な戦車が登場する運びとなったが、その製作スタッフの苦労は計りし得ない。観客である我々は「全然似てねぇ〜じゃ〜ん・・・」とケチをつければそれまでだが、それは製作スタッフに対して礼を失している。以前から言っているが「戦争映画(兵器の登場する映画)は作っても貰えるだけでも感謝しなくてはならない」のだ。まぁ苦労してブルドーザーを改造し、実車とは余り似てないぞ、と言われる車両を製作したとしても、訳のわからない物体(例えばインディージョーンズに登場したような・・・)を丁稚上げられるよりは、モデルの戦車が○○式だとかまだ想像できる方が、この手の薀蓄ネタの記事を書く身にとっては、全くありがたいのである。しかし夕張の花とシネマのドリームランド≠フ226戦車だが・・・どことなく南方の戦跡で朽ち果てている日本軍戦車の雰囲気を醸し出してなくもないなぁ〜ッ!このまま錆びて屑鉄の固まりになってしまうのか・・・などと感慨に耽ってしまう今日この頃であった・・・【まだまだ続く】
【一部修正20031101】まつむし様¥報により一部内容を加筆
10月31日(金)
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