ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File078】戦場の好敵手・・・多勢に無勢【中編Vol.2c】
シッティング・ブル
SITTING BULL(1837年〜1890年)フンクパパ・バンド(スー族)
クレージー・ホースやジェロニモと並び西部史上最も有名なインディアン指導者。伝統的な文化や生活、慣習を棄てさせて白人文明社会に組み入れようとする合衆国政府の「同化主義政策」に対し、抵抗し続け他の部族からも人気が高かった。彼は戦士というよりは予言者≠ナあり軍師≠セった。1876年の合衆国軍との戦いでは、彼の手腕によりスー族七部族(オグララ、フンクパパ、ミニコンジュ、ヤンクトン、サンティ、ブルーレ、サン・ザーク)そして北部シャイアン族とその同盟関係の雑多な部族、更に北部アラパホ族が結集した。シッティング・ブルという名は、白人たちにとって彼の本名タ・タン・カー・ヨ・タン・カーを発音出来なかった為、英語表記で呼ばれた名(他のインディアンの人名や地名も同じ)。幼名は飛び跳ねるアナグマ。元来タ・タン・カー・ヨ・タン・カー=座れる雄牛という名は、彼の父親の名であるが、14歳の初陣で手柄を立てた褒美に父親から名を譲られた。その後、族長を継ぎ幾多の部族を率いる指導者へと成長していった。リトル・ビッグホーンでの勝利後、合衆国軍の激しい追撃をかわし、僅かな手勢を率いカナダ領内(サスカチュワン地方)へと逃れたが、厳しい生活環境と食料不足から、1881年遂にマイルズ将軍指揮下の部隊に降伏。スタンディング・ロック保留地に一時収監されたが、後に釈放。白人達はカスターの部隊を全滅させた偉大なる酋長に興味を示し、1885年にはバッファロー・ビルのワイルド・ウェスト・ショー興行に参加させられ、各地で好奇の目に晒された。しかし彼は頑なに自分の主義を変えようとはせず、後に「白人は皆大嫌い。お前達白人は泥棒で嘘つき。お前達は我々の土地を奪い我々を浮浪者にした」という言葉を残す。その後は居留地で隠棲していたが、1890年12月15日暴動を扇動しているとして、彼の逮捕状が発行され、執行官に包囲される。その時、彼は「私は行かない。さぁみんな立ち上がれ」と叫び、それに呼応した周囲のインディアンたちが騒ぎ始めた為、執行官が発砲・・・その一弾が彼の体を貫き・・・最も偉大な酋長の一人シッティング・ブルの魂は天へと還って行った・・・。
クレージー・ホース
CLAZY HORSE(1849年〜1877年)オグララ・バンド(ダコタ・スー族)
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03月07日(金)
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