ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File130】男たちの硫黄島・・・D海軍衛生下士官は二度ハタ(星条旗)を揚げる?【後編】
リンドバーグ氏やジェイコブズ氏、そして1945年2月23日に摺鉢山の山頂で星条旗の掲揚を、間近で目撃した海兵隊員たちの幾人かは現在も存命していますが、60年と言う歳月を経て彼らの記憶も薄れつつあります・・・彼らは硫黄島で命を落とした戦友たちの思い出と共に、真実を棺の中に持って行くつもりかもしれません。合衆国海兵隊が、未だ最初の星条旗掲揚者としてのルイス・シャーロの存在を修正しないのは、誤りを修正する事によってジョン・ブラッドレーに関する真実や、その他まだ公表されていない新事実と複雑に絡み合った人間関係に至るまでの全てを今更ながら穿り返し、硫黄島戦の年老いたベテランたちの思い出まで壊しかねない事に躊躇しているからかも知れません・・・ね。

硫黄島に上陸した海兵第28連隊麾下チャンドラー・ジョンソン中佐の指揮した第二大隊1,688名の内、戦死及び戦傷者は1,511名(89.5%)・・・実に9割近い損害を出しています・・・硫黄島占領後に島から生還した177名の内91名は戦闘中に何らかの傷を負いながらも戦闘に継続して参加していました。そして大隊長ジョンソン中佐自身は1945年3月3日に戦死しています。デイヴ・セヴェランス大尉が率いたE中隊310名の内、戦死及び戦傷者は260名(83.9%)・・・第三小隊ではフィル・ウォード、グレイディ・ダイス、ハロルド・ケラー、ジェイムズ・ブキャナン、ジェームス・マイケルズの5名のみが、自らの脚で歩いて硫黄島を後にする事が出来ました。またシュリアー中尉の指揮下で摺鉢山に登った強行偵察小隊の42名中、36名がその後の戦闘で死傷しました。またローゼンソールが第二の星条旗掲揚写真の撮影後に写したガンホウ℃ハ真中に写っている18名中14名が死傷しています。第二次世界大戦中、合衆国軍兵士に対して与えられた議会名誉勲章は全部で353個・・・その中海兵隊には84個・・・更に硫黄島戦従軍者には27個・・・実に海兵隊員の議会名誉勲章受章者の3名に1名が、硫黄島での戦闘に従軍した海兵隊員と言う事になります。

ヘンリー・ハンセン軍曹/1945年3月1日戦死
ルイス・シャーロ一等兵/1945年3月2日戦死
アーネスト・トーマス小隊先任軍曹/1945年3月3日戦死
ハロルド・シュリアー中尉(退役海兵大佐)/1971年6月3日死去
ジェームズ・マイクルズ/1982年1月17日死去
ルイス・ローリー/1987年4月15日死去

最後にルイス・ローリー軍曹が撮影した最初の星条旗掲揚写真の別アングルをご紹介させていただきます。海兵隊員たちが仰ぎ見る先には、力強く翻る星条旗が・・・ローゼンソールの写真には、とても敵わないかも知れませんが、星条旗掲揚の模様としては、この写真の構図の方が至極自然体で、私ATFは非常に気に入っています。そして写真家トーマス・E・フランクリンが2001年9月11日の同時多発テロ時、崩壊したWTC世界貿易センタービルの廃墟(グラウンド・ゼロ)で撮影し『グラウンド・ゼロ・スピリット』と言うタイトルで発表した・・・廃墟に星条旗を掲揚するNY市の消防士たちの姿です・・・56年前に摺鉢山の山頂に星条旗を掲げたアメリカ人たちの精神は、今もアメリカ人の不屈の精神の象徴として受け継がれている・・・と言う事でしょうか。

今回の観戦記は如何でしたでしょうか?実に参考にしたサイトの90%以上が米国内の硫黄島関連サイトと言う、国文科出身の私ATFにとっては、針の莚の上に座って執筆している様で全く無謀なもの・・・お陰で誤釈・誤変換は多数・・・そして相変らず睡魔と戦いながらの執筆でしたので誤字・脱字も、更に多数と思われます(滝汗。摺鉢山の第二の星条旗掲揚者の最後の生き残りだったジョン・ブラッドリーが、実は最初の星条旗の掲揚にも関わっていた・・・かも知れないと言う突拍子もない仮説の検証?を試みた観戦記でしたが、歴史に誤りは付き物です。軍ヲタ物好きの大ホラ話としてでも結構ですから、観戦武官諸士の記憶の底に留めていただければ執筆者としては幸いです!【これはオマケですけど・・・続きます】

01月27日(土)
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