ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File129】男たちの硫黄島・・・C海軍衛生下士官は二度ハタ(星条旗)を揚げる?【前編】
くどい様ですが、ローリー軍曹が撮影した写真の中には、星条旗掲揚の決定的瞬間を写した写真はありません。しかし2005年に硫黄島戦60周年を記念して、新たに修正された海兵隊公式戦史に基づき、星条旗掲揚の瞬間を描いた戦争画が製作されました。この戦争画にはチャールズ・リンドバーグ伍長の姿がしっかりと描き込まれています・・・画面左下の氏名不詳の海兵隊員は、多分ローリー軍曹の写真においてカービン銃を構えているジェームズ・マイクルズ一等兵に間違いないと思われますが、画面右側の半身だけ描かれた海兵隊員は一体誰なんでしょうか?

【忘れられていた最初の星条旗を掲揚した男たち】
前述の通り、ローリー軍曹の写真に写っていた海兵隊員たち・・・最初の星条旗を掲揚した男たち・・・については、合衆国内でも長年殆んど注目されませんでした。実は1945年2月25日・・・星条旗掲揚の二日後に、ターナー提督やスミス海兵中将の座乗した上陸作戦総指揮艦エルドラド(AGC11)の艦上で、最初の星条旗を掲揚した海兵隊員の一人アーネスト・トーマス小隊先任軍曹に対し、CBSのドン・プライヤー記者が、星条旗掲揚の状況についてのインタビューを行っていたのですが、ローゼンソールの写真の影響力の大きさからか、このインタビューは歴史の闇の中で黙殺されてしまった様です・・・結局ローリー軍曹の写真が公の場で発表されるのは、太平洋戦争終戦から2年が過ぎた1947年9月になってからなのですが、その時点では、米国民にとっての硫黄島の英雄とは、既にローゼンソールの写真に写っていた6名の男たち・・・という認識が固まってしまっていました・・・また合衆国海兵隊の歴代司令官たちも、長年この最初の星条旗掲揚者については、敢えて公式な場での発言は控えていた様です・・・あくまでも推測ですが、海兵隊は関係者に対し緘口令を布き、民衆の話題に上らない様にしていたのかもしれません。
私ATFは、ジェイムズ・ブラッドレー著の『硫黄島の星条旗』を初めて読んだ時から、この最初の星条旗掲揚者たちが重要視されていない点について、非常に疑問に思っていたのですが、その疑問はイーストウッド監督の『父親たちの星条旗』を観戦した後、一層掻き立てられる事となりました・・・そう最初の星条旗を掲揚した男たちは実際何人で、そして彼らは一体誰なのか?と言う疑問が・・・。

【ローリー軍曹の写真に写っている通信兵は誰なのか?】
この疑問を解く為に、私ATFが最初に取り掛かったのが、ローリー軍曹の星条旗掲揚写真に写っている7名の海兵隊員中で、唯一官姓名が解らない謎の通信兵について調べる事でした。しかし調べようにも、日本国内のサイトでは全く関連する記述を発見する事は出来ず(・・・まぁこんな事に興味を持つヤツは、日本にゃ他にいねぇ〜よなぁ・・・)、結局残された手段は海外・・・主に米国内の硫黄島戦関連サイトで調べるしかなかった!・・・のですが、以前の観戦記でも口が酸っぱくなる程述べていますが、私ATFは英語が大の苦手(そんな訳で大学受験では英語の試験がない国文科を受験しました)・・・結局翻訳サイトと英和辞典の助けを借りつつ、今回の観戦記を執筆する事となりました。従って今回の観戦記は90%以上米国内の硫黄島戦関連サイトの資料を基に執筆されていますので、誤釈・誤訳が非常に多いものと思われます・・・その点を予めご了承下さいませ(大汗。ただ幸いな事に米国の軍事関連のサイトは、英語翻訳サイトで日本語変換して多少変な語訳になっても、原文中の単語と前後の文脈から想像し易かった・・・って事でしょうか。例えばフォックス会社2/28、第5海運課≠ネんて、全く妙な語訳が文中に登場しても、これくらいなら軍ヲタを長年やって来たお陰で、即座に第5海兵師団第28海兵連隊第二大隊F中隊って判別出来る訳ですよ・・・。


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01月26日(金)
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