ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File110】観戦記某重大事件発覚・・・疑惑のShall We タンク!【号外】
それでは安曇重工様がこれが馬鹿戦車のベースであるとご指摘された大原鉄工所製吹雪号試作型雪上車を見ていただきたい。吹雪号≠ヘ、戦後間もなく当時の新潟県庁幹部から、豪雪に閉ざされる冬期の交通確保の為の雪上車の開発を依頼された、県下唯一の地元資本機械製作メーカーであった大原鉄工所が、当時の上村専務を中心として、進駐軍が使用していたウィーゼル水陸両用車と旧軍戦車の残骸と資料(「戦車工学」)を参考として、更に新潟県からの補助金150万円を得て、全くの零からの開発に着手・・・4ヶ月という短期間の中で、車体や履帯の強度、雪上の接地圧等の思考錯誤を繰り返しながら開発した国産雪上車の第一号で、1951年12月に完成し、当時の岡田新潟県知事によって吹雪号≠ニ命名された。翌1952年に民間からの受注を受け、量産型の吹雪号2号車20両が生産されるが、実際に使用してみると駆動装置や転輪が氷結、履帯が破損するトラブルが続出した・・・その後、改良が加えられ実用化されたのが大原鉄工所製吹雪号SM-5型雪上車である。この車体が初の民間実用型の雪上車である。しかしこの車体も耐久性等に問題が残り、その後も研究・開発は続けられた結果、最終的に実用的な車体が完成したのは、開発着手から4年後の1955年になってからであった←---今考え直してみると、この一文が今回の勘違いを引き起こしてしまった感がある。馬鹿戦車のベースとなった雪上車が、新潟県の民間で使用されていた車体であると言う事から、一般に普及した車体・・・即ちKC40型・・・であると思い込んでしまった。KC40型以前の車体・・・吹雪号型は、一般的には普及していない車体と思われるので、馬鹿戦車のベースには成り得ないだろう・・・と。
しかし、安曇重工様からのご指摘を受け再度調査し直した結果、その足廻り・・・転輪配置と懸架装置の型状比較から、間違い無く馬鹿戦車のベース=吹雪号改良型雪上車≠ナある、と言う結論に達した。ご覧の様に、写真から独特の型状をした懸架装置が見て取れる。そして更に探査を進めた結果、防衛庁サイトのコンテンツから、既に消去されてしまっていた六十式3トン雪上車の平面図を発見出来た事によって、明らかに同型のKC40型雪上車と馬鹿戦車との足廻り・・・転輪配置と懸架装置が異なると言う事も確認出来たのだった!
また前回の観戦記で、大原鉄工所製の雪上車について・・・それにしてもKC40型と言い、この五三式と言い、幾ら日本国内での仕様だからって、座席部分がただの幌掛けだってのはチョットなぁ・・・これじゃ流石に寒いでしょ・・・積雪の上を走れるジープ程度の乗り物で、乗員の防寒性なんて殆んど考慮されて無い乗り物って事か・・・?などと安直な疑問を記述したところ、この疑問点についても安曇重工様からご丁寧なる鮮明な写真付きの解説を頂き、これによって陸上自衛隊での雪上車の用法が理解出来、あの幌付きの座席についても充分納得する事が出来ました!\(^◇^)/

こうしてまた長い夜が明けました・・・でもATFの身体には、心地よい疲労感が漂っていました。今回は安曇重工様からのご指摘のお陰で、多くの観戦武官諸士に誤った情報を偉そうに伝えていた事をいち早く訂正する事が出来ました。ここに観戦武官諸士に深く陳謝すると共に、安曇重工様に改めて深く感謝の意を表したいと思います!多謝・・・

【加筆/馬鹿戦車の消息】

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05月12日(木)
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