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ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File130】男たちの硫黄島・・・D海軍衛生下士官は二度ハタ(星条旗)を揚げる?【後編】
さてジェイコブズ氏は、ローリー軍曹の星条旗掲揚写真の中の男たちについては、他にも修正が必要であると証言しています。それらの修正点は、ローリー軍曹の他の写真によっても確認出来るので、ここでご紹介しておきます。まずは【写真上】ローリー軍曹の星条旗掲揚写真の修正前と思われる写真。【写真下】同じくローリー軍曹の星条旗掲揚写真に続いて撮影されたと思われる写真。・・・この二枚の写真からは、ハンセン軍曹とジェイコブズ通信兵の背後(写真左下)にもう一人【海兵A】が・・・そして写真下からは、リンドバーグ伍長の背後に更にもう一人【海兵B】の姿を確認する事が出来ます。そして【各写真】ローリー軍曹の星条旗掲揚写真の撮影直前あるいは直後に撮影されたと思われる写真。・・・からは、まずジェイコブズ通信兵の足下にしゃがみ込んで無線の受話器で話をする人物【海兵C】が確認出来ます。ジェイコブズ氏は、この人物【海兵C】こそ強行偵察小隊長のシュリアー中尉だ、と証言しています・・・ジェイコブズ通信兵は小隊長付の通信兵なので、この証言は、まず間違いないと思われます・・・現に第二大隊の記録によれば、星条旗掲揚直後に大隊長ジョンソン中佐とシュリアー中尉との間で無線の交信が行われている(この直後に日本兵の攻撃が起こった)、と記録されている事も、この人物【海兵C】がシュリアー中尉である事の裏付けしています。
右側の写真の中で、ブラッドレーではないかと思われる人物の足の間に背中が確認出来る人物【海兵D】・・・ローリー軍曹の星条旗掲揚写真の各人物の立ち位置からして、この人物はジェームズ・マイクルズ一等兵であると思われます。また下中央(赤枠左)の写真では【海兵A】の姿を明瞭に確認出来ました。
【最初の星条旗掲揚の現場に居合わせた男たち】
以上これまでに明白なった、或は推定される各事項からローリー軍曹の写真における8名の海兵隊員及び海軍衛生下士官の立ち位置を想定して見ました。更に未検証ながら、米国内の硫黄島関連サイト中で発見された二人の人物・・・【海兵A】及び【海兵B】の氏名を基に・・・私ATFの想像(妄想?)の味付けをして・・・1945年2月23日午前10時20分・・・摺鉢山の山頂に最初の星条旗が掲揚された時に旗竿の周囲に居て、ルイス・ローリー軍曹の撮影した複数の写真に写っていた男たちを特定して見ました・・・。
ご存知の通りジョン・ブラッドレーは、戦後この硫黄島での体験を「忘れてしまった」と言って殆んど語る事はありませんでした。47年間に及んだ結婚生活の中でも、ブラッドレーがこの事を語ったのは妻のベティに対してだけ・・・しかも最初のデートの時の一度きりでした。そして家族の中では、この話をする事はタブーにすらなっていました。1985年になって一度だけ、ブラッドレーは自らの思い出を語りますが、これはどうしても孫たちの為に話してほしいという妻の強い願いに応えた為でした。ジョン・ブラッドレーは、硫黄島での戦いの中でラルフ・イグナトウスキー(1945年3月4日戦死・・・1945年3月8日遺体発見)を始め多くの戦友を失い、また自らも重傷を負い、更に帰国後は星条旗掲揚者の生き残り=英雄として第七次戦時国債募集ツアーに従事させられて、大きな精神的な苦痛を味わいました。また彼は、同じく星条旗掲揚者の生き残り=英雄という重圧に押し潰されてしまったアイラ・ヘイズの悲劇や、その後の人生の道を踏み誤ったレイニー・ギャグノンの最後も知っています。そんな彼が自分は最初の星条旗掲揚にも関わっていた・・・と新たに証言する事によってふたつの星条旗掲揚に関わった史上希に見る英雄として再び歴史の表舞台に担ぎ出され、より大きな精神的な苦痛を味わうかもしれない・・・事を自ら望むでしょうか?またこれは私ATFの妄想ですが・・・ブラッドレーは最初の星条旗の掲揚には関わったが、第二の星条旗の掲揚には関わっておらず、実は第二の星条旗を掲揚したのは別の海軍衛生下士官(その後戦死した・・・)だった・・・のかも。そんな理由の為に・・・彼は生涯を通して星条旗の掲揚に関する話をしなかったのではないか・・・なんて激しく妄想してしまいます。結局ジョン・ブラッドレーは、真実を明らかにする事なく墓の中まで持って行ってしまいました。
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01月27日(土)
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