ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
[455587hit]

■【File126】男たちの硫黄島・・・@イーストウッドの挑戦
前述の通りイーストウッドは『ハートブレイク・リッジ』において、米海兵隊とは深い関わりを持っています。その米海兵隊を語る上で硫黄島の戦い≠ヘ避けて通れません・・・しかし逆説的に考えると、この硫黄島の戦い≠ヘ米海兵隊にとっては、一番話題にされたくない戦いとも考えられるのです・・・何故かって?・・・太平洋戦争中、太平洋上の大小多くの島々において日米両軍の死闘が繰り広げられましたが、その殆んど全ての戦闘において、米軍は圧倒的物量による兵力・火力において日本軍を圧倒し、一部で日本軍守備隊の善戦は見られたものの、結果的に玉砕≠ニ言う結末を辿っています。そんな中で硫黄島の戦い≠ヘ、最終的に日本軍守備隊は全滅≠オて島は米軍の手に陥ちましたが、米軍の戦傷者数が日本軍のそれを上回った唯一の戦いだったのです。そんな訳からか、これだけ有名な戦いの割には、ハリウッド製戦争映画の題材として余り描かれてはいません。しかしそれは・・・ジョン・ウェイン主演の『硫黄島の砂(1949)』が有名過ぎるからじゃないのか・・・と言う方も多い様ですが、私ATFはその意見に素直に納得は出来ないのです。『硫黄島の砂(1949)』は、アメリカを代表する俳優ジョン・ウェインを語る上でも忘れる事の出来ない映画です。しかしこの『硫黄島の砂』の中で描かれた硫黄島の戦い≠ヘ、映画終盤の20分程度の尺でしかありません。資料によれば、この『硫黄島の砂(1949)』は、合衆国において第二次大戦終戦後に軍備縮小の声が昂まる中、合衆国四軍中まず槍玉に上がったのが海兵隊(・・・陸軍があるから要らんわい・・・という主張から)だった事から、米海兵隊首脳部が自らの栄誉と存在意義を国民にアピールする為の宣伝映画だったのでした。その為、撮影に当っては米海兵隊が全面協力(車両と兵器の貸与・兵士のエキストラ参加・訓練基地の使用許可等)しています・・・そのくせ海兵隊は車両の燃料経費やエキストラに参加した兵士の食費等をしっかり請求して損はしていないそうです。結果的には、部下を一人前の海兵隊員に育てて死んで逝く鬼軍曹を好演したミスターアメリカ<Wョン・ウェインの人気もあって、興行的に大ヒットして海兵隊への志願者が増加、海兵隊首脳部の思惑は見事に成功した・・・実は公開翌年の1950年6月に朝鮮戦争が勃発したので、海兵隊首脳部の心配は余り意味が無かったんじゃないかと思えますが・・・のでした!またジョン・ウェイン演じるストライカー軍曹が戦死する直前に、摺鉢山の山頂に掲揚する為の星条旗を手渡す三人の海兵隊員役で、実際に星条旗を掲揚したジョン・ブラッドレー、アイラ・ヘイズ、レイニー・ギャクノンが出演しているのですが、ワンシーンのみで映画の宣伝の為の話題作り程度でしかありません。そんな訳で『硫黄島の砂』と言うタイトルの割には硫黄島の戦い≠ェ中心の作品ではありませんでした。と言って、この『硫黄島の砂』以外にアメリカ製映画で硫黄島の戦い≠描いた作品は・・・と聞かれても直ぐに思い当たるのは、唯一トニー・カーティスがアイラ・ヘイズを演じた『硫黄島の英雄(1961)』くらいです。私ATFは、この作品を未観戦なので想像の域を出ないのですが、あらすじを読む限りでは硫黄島の戦い≠サのものよりも、平凡な兵士が英雄に祭り上げられて戦時国債のPRに利用され、その後に辿る悲劇に重点が置かれて描かれているのではないかと思われます・・・実際のアイラ・ヘイズは、戦後精神的な疲労からアルコール依存症となり1955年1月に亡くなっているので、彼の死後6年程で摺鉢山に星条旗を掲揚した英雄達の虚構が脚色されながらも映画化された事は、高く評価されるに値すると思われます。余談ですが、この『硫黄島の英雄(1961)』の製作を担当したサイ・バートレットという人物は、何と戦前ロサンゼルス滞在中の西竹一男爵と親しく交流し、また戦時中は米陸軍航空隊の情報将校として本土爆撃に参加・・・占領後の硫黄島に不時着した時に西中佐の安否を尋ね周り、戦後映画プロデューサーとして成功した後の1965年に東京麻布の西未亡人宅を訪れ(この時、俳優のケーリー・グラントも同行)、靖国神社で自ら故西竹一大佐の慰霊祭を催して弔事まで読んだそうです(・・・一説に彼が西中佐に投降を呼びかけたと言う説もある)・・・因みに戦争映画ファンに馴染みの深い戦争映画に製作や脚本家として関わってもいます。

[5]続きを読む

01月01日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る