ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File103】マカロニ戦線異状アリ・・・珍説イタリア戦争映画史《補説》
【イタリアは第二次大戦の戦勝国だって?】
イタリアでは数々の戦争映画の名作が生まれているのは皆さんもご存知の通り。しかし、それらの作品の特徴、生まれた背景について語る前に、イタリアが北アフリカの敗戦以降に歩んだ歴史を知っておく必要なあります・・・えッ、イタリアって枢軸側の敗戦国じゃなかったの?・・・それではイタリア終戦秘史の始まり始まり〜ッ!
@ムッソリーニの解任と逮捕
1943年4月以降北アフリカの独伊軍は敗走し、5月中旬、遂に25万以上の独伊軍将兵が降伏し、北アフリカでの戦闘は終結・・・戦場はシチリア島〜イタリア本土へと移って行く。国内での厭戦気分も高まり、1942年春頃から密かに反ムッソリーニの動きも活発化・・・中心になったのは、なんとムッソリーニの長女エッダの夫の外相チアノや参謀本部のジュゼッペ・カステッラーノ准将たち。1943年7月10日連合軍のシチリア侵攻「ハスキー作戦(英第八軍モンティ/シラクザ方面&米第七軍パットン/アグリジェンド方面:総兵力16万)」の開始により、ファシスト政権は動揺。ムッソリーニは、参謀総長カバレロ元帥を更迭し、アンブロジオ元帥を後任に任命し軍部人事や内閣改造で急場を凌ごうとした。7月24日ファシスト評議員たちの要請により、ヴェネチア宮において開戦以来三年半ぶりに最高諮問機関であるファシスト大評議会が開催される。夕刻から始まった評議会は翌朝未明まで延々10時間以上も続き「統帥権の国王への返還=立憲君主制への復帰」と言う下院議長で古参ファシスト党員ディノ・グランディが起草した動議が提出され、賛成19(娘婿の外相チアノを含む)反対7棄権2によって採決、更にムッソリーニに対し統領辞任が勧告された。翌日未明に評議会が終了。その夕刻ムッソリーニは評議会の結果を奏上する為に、国王ヴィットリオ・エマヌエル三世の離宮へ参内。この時ムッソリーニは、まだ国王が自分を支持してくれるもの、と期待していた。しかし国王はムッソリーニの首相職を解任、身の安全を確保するという名目でカステッラーノ准将に命じ逮捕、監禁させる。7月28日ファシスト党は解散を命じられ、こうしてイタリアのファシスト体制はあっけなく崩壊した。
Aバドリオ新政権の誕生
8月11日独軍がシチリア島からの撤退を開始。ムッソリーニに代わり新たに首相に任命された元(ギリシャ侵攻時)参謀総長ピエトロ・バドリオ元帥が率いる新政権は、駐伊独軍対策として「戦争継続」を宣言したが、反面カステッラーノ准将を代表として、連合国との休戦交渉を秘密裏に進めていた。カステッラーノ准将は、ポルトガルのリスボンにおいて英国大使と接触した後、本格的は休戦交渉に入った。しかし連合国側が要求したのは完全なる「無条件降伏」・・・しかし、その後紆余曲折を経て、イタリアの対独宣戦布告を条件に「無条件降伏」は「長期休戦」に変更された。連合軍がメッシナ海峡を越えてイタリア本土に上陸した9月3日、シチリア島シラクサ近郊カッシビレにおいて、連合国との休戦協定が締結され、表面上の連合国との戦闘は終結。この時点でバドリオ新政権側には、イタリア本土上陸作戦の決行は二週間先と伝えられていたのだが、結局9月8日に早まり、慌てた国王とバドリオ新首相は、駐伊独軍の逮捕から逃れる為に急遽ローマを脱出、新政権をイタリア南端アドリア海に面した都市ブリンディジに移した後、連合軍との休戦協定の発効とムッソリーニの首相罷免を公表。10月18日ドイツに対して宣戦を布告した事により、連合国側から「共同交戦国(CO-BELLIGENT)」という地位を与えられた。アイゼンハワー連合国軍総司令官は「イタリア政府はその軍隊を無条件に降伏させた。本職は軍事的休戦を許可し、米英ソ三国政府の承認を得た休戦条件を認めた。休戦協定は本職とバドリオ元帥との代表によって調印され、この瞬間に発効した。イタリアの国土からドイツ侵略者を駆逐するために援助する全イタリア人は、連合国の支持と支援を受けるであろう」との声明を発表、こうしてイタリアは連合国側となった。この後、多くのファシストがローマを去り北部イタリアへ逃走、一部はスイスまで逃亡した。
B独軍、中北部イタリア占領・・・ムッソリーニ奪回
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02月01日(日)
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