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ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File097】あゝ邦画戦争映画は燃えているか・・・Shall We タンク!【前編】
1964年に公開された『男はつらいよ』シリーズの山田洋次監督、クレージー・キャッツのハナ肇主演による馬鹿三部作(他に『馬鹿まるだし』『いいかげん馬鹿』がある)≠フひとつ。因みにタイトル中の戦車≠ヘせんしゃ≠ナはなくタンク≠ニ読ませる。数々の邦画音楽に足跡を残す巨匠団伊玖磨の書き下ろした「日向村物語」を原案として、架空の農村日永村≠舞台に、地主仁右衛門(花沢徳衛)と小作人サブ(元少年戦車兵/ハナ肇)の土地の境界争いに端を発したイザコザが、村人を巻き込んだ大騒動となる。村人たちに馬鹿にされ怒り心頭に達したサブが、終戦のドサクサに紛れて少年戦車兵学校から持ち出した戦車・・・将に豆タンクを駈って、ところ狭しと暴走、地主や村会議員の屋敷を蹂躙し捲る。山田洋次監督曰く、この主人公サブのキャラクターは、後の寅さん≠フ原点だとか・・・。日本的ムラ℃ミ会の因襲を、強烈な風刺コメディタッチのストーリーに織り込み、障害に対する偏見や差別を痛烈に批判した(現在では放送禁止用語満載の)山田洋次監督の初期代表作だ。登場する戦車は愛國八十七号<Cメージ的には旧陸軍の九十四式軽装甲車の様に思えるが、砲塔には小口径砲を搭載し、さらに九十七式中戦車の如くアンテナフレームの様なものが取り付けられているし、車体後部には八十九式中戦車の様な超壕装置っぽいものまで付いている。愛國≠ネんて民間献納車両の名前が付けられていて、よくよく考えてみれば、日本の戦車の特徴を充分具現化・・・まるで絵に描いたような、将に戦車らしいタンク≠ネのだ。しかしまぁ、この戦車良く走る。元は何なのか・・・一説にはブルドーザーを改造したものだ、と言われていたが、調査の結果、どうやら雪上車を改造したものだと言う事が解った。しかしそれだけでは観戦武官諸士は納得されないだろう・・・そんな事は、既に皆さんご存知で1へぇの価値もない・・・。と言う訳で、我が戦争映画観戦記としては、もう一歩深く踏み込んだ調査を行い、ここにその結果を報告する運びとなった・・・。※因みに九十四式軽装甲車が大活躍する作品として『将軍と参謀と兵』が超オススメである・・・包囲された師団司令部を救援する為、西部劇の騎兵隊宜しく師団捜索隊所属車両が敵砲火の中を突っ走る姿が最高!
@夢の三式戦車出演・・・
実は、この映画が企画されていた時、土浦の陸上自衛隊武器学校に陳列されている三式戦車の可動復元計画が進められていた。米軍から払い下げられた三式戦車に、三菱の工場に残されていた統制型エンジンを搭載・修理して、可動状態に戻そうという計画だったらしい。当時の武器学校長が強く推進し、かなりの段階まで計画が進んでいた様だ。山田洋次監督が『馬鹿が戦車でやって来る』の撮影の為、動く旧軍の戦車は無いか、という話を戦車研究家の竹内昭氏に相談したところ、それじゃという事で武器学校の話を教えてもらったそうだ。山田洋次監督は早速武器学校に連絡を取ったそうだが、時既に遅し・・・その復元計画を推進していた校長が異動となり、新しく着任した校長は経費削減から三式戦車復元計画を中止・・・エンジンは廃棄され、また部品の幾つかも紛失されてしまい、計画は夢と消えてしまった・・・との事(以上:大日本絵画刊アーマーモデリング誌第3号に掲載されている記事がネタ元だが、当該文章については内容未確認)。もし三式戦車復元計画と映画出演が実現していれば、実車の三式戦車が走り廻っているという、将に軍オタ垂涎の邦画作品となっていたかもしれない。しかしATF的には、物々しく力強そうな三式戦車・・・軍国主義の恐怖の象徴・・・よりは、愛すべき豆タンク愛國八十七号(以下:馬鹿戦車)の方が、この映画のキャラクター的には充分正解だったと思える・・・。まだ八十九式中戦車だったら納得もできる設定ではあるが!(追記・・・この土浦武器学校の八十九式戦車も昭和50年代までは走行可能な状態だったとか・・・涙)
A馬鹿戦車の正体・・・

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09月30日(火)
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