ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File074】多勢に無勢・・・って言っても時の運≠ナしょやっぱ!【前編】
さて今回のお題は、つい最近発売された作品が発端となっております。最近は映画公開された作品のソフト化も早くなったもので、昨年の初夏に公開されたその作品「ワンス・アンド・フォーエヴァー(WE WERE SOLDIERS 2002)」のDVD&ビデオが早くも発売されました。この作品についての観戦記は【File046】で紹介しておりますが、この作品も典型的な量≠ェテーマ・・・攻める米軍400名VS守る北ベトナム軍2000名、実に5倍の兵力の敵、しかも守備側の兵力が勝っているにも関わらず、米軍が勝利を手にする事できたのは、なんと言ってもヘリボーンによる絶え間ない武器・弾薬・食料の補給と負傷者の後送、そして圧倒的な航空支援に外ありません。前述の通り古来の兵法では、城(陣地)に篭る守備側は3〜5倍の攻撃側に対抗する事が出来るとか・・・まあ平面的な空間でしか戦闘が行われなかった古代〜近世までは、この道理も通用したかもしれませんが、戦闘が立体的になった近代戦では通用しねぇーよ・・・しかしまぁこの作品の場合、北ベトナム軍は、山岳部の堅牢な陣地に立て篭もって応戦すれば、もっと米軍側に損害を与える事が出来たのではないか・・・あれだけ強固な地下陣地、米軍の空爆や砲撃にも充分耐えられるのでは・・・などと考えるのは素人軍オタの浅儚な自惚れなのでしょうか・・・ところで同じ観戦記中にて比較紹介している「地獄の軍団スクワッド(FIREBASE GLORIA 1988)」では、なんと米軍守備隊30名VSベトコン攻撃部隊3000名・・・のキャッチコピー、驚く無かれ100倍・・・でも画面上で観る限りでは、米軍側の兵力は少なくとも倍の60名・・・一個小隊は最低でもいるようです(・・・それでも50倍だよ!)同様の事は他のナム戦を描いた作品でも数多く見受けられます。米軍と言えば、なんと言っても物量≠ェ代名詞ですが、これらの作品に共通なのは、何故か米軍=守備側の劣勢≠強調し、沫や済んでのところで西部劇の騎兵隊°Xしく駆けつける救援部隊・・・ナム戦初期の軍事顧問団の悲劇を描いた名作で、作品前半に登場する全滅した仏軍兵士の墓地の入り口に掲げられた碑文スパルタ人に告げよ≠ェそのまま原題となっている「戦場(GO TELL THE SPARTANS 1977)」やミスターアメリカジョン・ウェイン℃蜑奄ナ、前半は前哨基地ツーナインサヴォイ≠巡る攻防を、後半は北の将軍の誘拐作戦に従事する米軍特殊部隊の活躍を描いたナム戦映画の代表作「グリーン・ベレー(THE GREEN BERLETS 1968)」前述の「スクワッド」と同じコンセプトで、北ベトナム軍の大部隊の大攻勢に曝される米軍のアウトロー部隊の陣地戦を描いた「ラン・メイ/ベトナムの熱い日(LAST STAND AT LANG MEI 1990)」など、いずれも圧倒的多数の共産側の攻撃に、寡兵宜しく立ち向かい苦戦に陥るも「戦場」以外は救援が間に合い、あれだけ強力な(or烏蛇烏蛇いた)共産軍を、いとも簡単(グルーンベレーではC47改造ガンシップの掩護が・・・)に撃退してしまう・・・やはり最後に笑うのはアメリカ≠ネのか・・・。

【遥かなる38度線・・・朝鮮戦争篇】

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01月28日(火)
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