ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File070】あゝ邦画戦争映画は燃えているか・・・阪妻$カ誕百周年記念『殿様と御家老と足軽』
ところで話は外れますが、邦画戦争映画の数ある中で壮大な陸戦シーンが描かれた作品として思いつくのには何があるでしょうか・・・日清・日露戦争を扱った作品を除き太平洋戦争を舞台とした作品に限定すると、ATF的には「人間の条件(第一部二部三部四部1959・完結篇1961)」「太平洋戦争と姫ゆり部隊1963」「激動の昭和史 沖縄決戦1971」「戦争と人間(第一部1970・二部1971・完結篇1973)」「大日本帝国1982」くらいしか思い浮かびません。この中で「人間の条件」や「戦争と人間」「大日本帝国」は戦闘映画≠ニいうよりは歴史大河ドラマ%I作品で、例えば洋画で言うと「史上最大の作戦1962」や「バルジ大作戦1965」「パリは燃えているか1966」「遠すぎた橋1977」旧共産圏では「ベルリン陥落1949」「ネレトバの戦い1969」「レニングラード攻防戦1974」「モスクワ大攻防戦1985」の如く大部隊同士が激突する大規模戦闘≠フ全容を描いた作品ではありません。唯一「太平洋戦争と姫ゆり部隊1963」と「激動の昭和史 沖縄決戦1971」のニ作品が、この分類に入ると思われますが、両作品とも太平洋戦争末期の沖縄防衛戦を題材とした作品で、日本軍側からの積極的攻勢は余り描かれていません。周知の通り、大規模な海戦や航空戦を描いた作品・・・日本映画界の伝家の宝刀円谷特撮≠多用した作品は多数製作されているのですが、陸戦となると・・・と言う訳です。さて太平洋を舞台とした陸上戦闘は、その殆んどが島々を巡る防衛戦であり、師団規模の兵力が移動しながら戦うといった機動主体の戦闘ではありませんでした。中国戦線においては大陸打通作戦≠ニ言ったような大規模兵力による機動作戦が幾度か展開されてはいますが、戦後製作された邦画戦争映画では、かねてより私ATFが提唱しているチャンバラ・コンバット′nの作品において小部隊・小規模戦闘が描かれているばかりで、師団規模兵力が激突する戦闘が描かれている作品は、ほとんど皆無の状態です。(これって、やっぱ中国の国民感情を意識している為でしょうか・・・ね?でも中国で製作された抗日≠テーマとした作品には、雲霞の如き兵力の鬼畜日本軍が登場してるんですけど・・・)
で(前置きが長くなりました・・・爆)ここに登場するのが『将軍と参謀と兵』ご存知の通り、戦時中の1942年に陸軍の全面協力を得て製作・公開された、所謂ところの戦意高揚国策戦争映画であります。

【邦画戦争映画屈指の大包囲撃滅戦=z
舞台は昭和16年の北支戦線。永定河方面の国民党軍閥孫連仲℃w揮下十万余の大軍を包囲撃滅せんとする日本陸軍による大殲滅作戦を、包囲網の口を閉める重要任務を命じられた日本軍歩兵師団の師団長以下の首脳部と、指揮下の第一線兵士たちや従軍記者たちの姿を軸に、事前の偵察、作戦立案から攻撃準備、出撃、行軍、戦闘までをドキュメンタリータッチで描いた作品です。中国軍ゲリラの跳梁によって補給もままならない中国奥地に駐屯する日本軍某歩兵師団に中国軍の撤退路を遮断する命令が下されます。早速将校斥候が派遣され収集された情報を基に、参謀らによって作戦が立案され、討議の結果、師団長によって裁可された作戦案によって作戦が開始されます。まず挺身突進隊が先行、その後に師団前衛部隊、本隊(司令部)、師団戦車(軽装甲車)隊、輜重部隊が続いての進撃。しかし図らずも師団前衛部隊は、中国軍の強力な抵抗に遭遇して多くの損害を出し、また本隊(司令部)も中国軍の激しい砲火に曝され、通信機器を破壊され孤立、航空隊への支援要請も出来ない状態に陥ります。さらに後方の輜重部隊は、中国軍後衛による前進妨害を受け前進が遅れ、挺身突進隊は遮二無に前進し当初の目的地点に到達するも、強硬突進にともなう戦闘で弾薬・食料が欠乏、苦戦を強いられます。ここに至って勇敢な一人の参謀(杉少佐)が部下数名を伴い、騎馬にて中国軍の包囲を突破、我が身を犠牲にしながらも後方の戦車(軽装甲車)隊との連絡に成功。無線にて航空隊宛支援要請を実施。かくて航空隊による中国軍防御陣地への爆撃と挺身突進隊への物資投下による補給が実施され、本隊(司令部)も戦車(軽装甲車)隊の救援により、中国軍の反撃を撃退、指揮下砲兵隊の猛射が行われ、晴れて作戦は大成功と相成るのでした。
《主な配役(俳優名)は下記の通り》
●兵団司令部

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12月10日(火)
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