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ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File071】祝・製作四○周年記念特別編発売・・・実録『大脱走≠ュぅらぁ〜』後編
気がつけば今年も後十日余り・・・この一週間は年末のドタバタで仕事が大は〜ど、またドカ雪や何やらで毎日の如く通勤電車は遅れ、まったく散々な一週間でありました。そんな中、私事で恐縮ですが去る12月16日に○○回目の誕生日を迎えました・・・この歳になると誕生日なんて嬉しくもないゾ〜ッ・・・泣。観戦武官の皆さんはとっくの昔にお見通しでしょうが12月16日と言うと、欧州戦線では戦争映画バルジ大作戦≠ナ有名な独軍攻勢・・・所謂ラインの守り″戦発動の日、太平洋戦線では日本海軍が世界に誇った超巨大戦艦大和≠フ建造開始・・・所謂竣工した日なのでした・・・まあ、こんな訳で私ATFがコッチ=軍オタ・・・戦争映画&面の趣味にどっぷり浸かってしまったのも、何かの因縁があるような気がします。まあ他にもこんな事やあんな事が°Nこってるんですが・・・皆さんも自分の誕生日が何の日か、何が起こった日か調べてみると面白いですよ・・・。
さて、お待たせしました・・・(待ってないって)今回の観戦記は11月12日の【File066】でお贈りした『大脱走』特集の後篇であります。脱走≠ニいう巨大なプロジェクトに挑んでいった男たちの壮大なドラマ。今から30年近く前、年末のテレビのロードショーで放映される度に、まだ幼かった私ATFをテレビの前に釘付けにした、その理由は一体何だったのか・・・その答えは意外なところから見えて来たのでした・・・物語の舞台は一挙に300年前に遡ります≠サれでは【開演ブザー】いつもの様に携帯電話の電源はお切り下さい・・・。
【時は元禄十五年、極月半ばの十四日。場所は本所深川町、俄に起こる陣太鼓・・・】
さて先週の週末12月14日は、我が親的戦争映画サイトCROSS OF IRON℃蜊テによるジェームズ・コバーン追悼『戦争のはらわた』上映会&忘年会≠セったのですが、巷・・・特に東京の下町深川当たりでは、一大歴史イベントが行われていました・・・それは歌舞伎芝居や講談、映画、小説などで我々日本人にとって最も有名な時代劇のひとつである『忠臣蔵』のハイライト・・・そう吉良邸討ち入り事件≠ゥら丁度300年目という事で、昨年の3月(忠臣蔵℃膜盾フ発端となった松の廊下刃傷事件≠ェ起こった)から様々な関連イベントが行われていたのだそうです。日本人なら誰しも知って・・・る(最近のお兄ちゃんやお姉ちゃんは知らねぇか)・・・主君の無念を晴らし、憎き吉良上野介の首級を挙げんが為、苦難に耐え偲んだ大石内蔵助以下四十七人の赤穂浪士≠フお話・・・しかしながら『仮名手本忠臣蔵』や『元禄忠臣蔵』など歌舞伎や映画で描かれた筋書きが、そのまま史実を全て忠実に反映しているわけではありません。ご想像の通り、事実とは異なる虚飾や架空の演出がたんまり・・・第一「忠臣蔵」と言っているのは歌舞伎世界(講談、浄瑠璃など)だけのことであり、実際に起こった事件にそのような「名前」が付けられていた訳ではないのです。『忠臣蔵』の忠臣≠ニは、武士道の手本とも言える忠義の家来を、蔵≠ニは大石内蔵助を表わしていると思われます。
『江戸城内松ノ廊下刃傷事件』概要
それでは『忠臣蔵』とは一体・・・今さらでもないですが、ちょっとおさらい≠オておきましょう。
【事の発端・・・松の廊下傷害事件】
日 時:元禄十四年(西暦1701年)3月14日 午前11時頃
場 所:江戸城内(殿中)松の廊下(柳の間付近)
加害者:播磨国(広島)赤穂五万石藩主 浅野内匠頭長矩(ながのり)事件後、時を経ずして一関藩主田村右京太夫の屋敷に預けられ同日夕方切腹。遺骸は泉岳寺に埋葬された。享年35歳。
被害者:幕府高家肝煎(筆頭/三河国吉良四千二百石) 吉良上野介義央(よしひさ)事件後、吉良家の家督を息子義周(上杉家からの養子)に譲り隠居したが、後に赤穂浪士によって殺害される。享年62歳。
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12月22日(日)
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