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ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File055】あゝ邦画戦争映画は燃えているか・・・THE LAST KAMIKAZE・・・特攻編
以前この【File55】を最初に書いた時は「流石に戦時中に製作された国策戦争映画では、特攻隊を描いたものは無い様だ・・・」などと知ったかぶりで大見得切って書き込んでいた。「雷撃隊出動」や「愛機、南に飛ぶ」「乙女のゐる基地」等の作品において、特攻や自爆を連想させる様なシーンはあっても、ずばり特攻隊や特攻隊員の実像を描いては、防諜上よろしくないのでは・・・などと勝手に解釈していたのだ。ところが2004年4月、偶然にも戦時下において、ずばり特攻隊を描いた作品を発見する事になる。その作品とは『最後の帰郷』・・・なんと公開時期は、終戦まで残すところ3週間という1945年7月26日。この作品は、出撃が決まった陸軍の特攻隊員たちが、出撃を前に許可されて、それぞれの実家で過ごす最後の帰郷の様子を描いた作品で、脚本は、あの文豪菊池寛である。戦時下である為に、脚本には多少の戦意高揚意図が感じられるのは仕方ないが、将に特攻と同時代に作られた作品として特攻映画を語る上で非常に貴重な作品である・・・さらに実機の三式戦飛燕≠ェタップリ登場しているのも航空機マニアには垂涎物の作品でもあります。
《第一期特攻映画作品》
「雲ながるる果てに」1953鶴田浩二(海軍)
「神風特攻隊」1954波島進(海軍)
「泣け!日本国民 最後の戦斗機」1956葉山良二(海軍)
「雲の墓標より空ゆかば=v1957田村高廣(海軍)
「あゝ特別攻撃隊」1960本郷功次郎(海軍)
「予科練物語/紺碧の空遠く」1960山本豊三(海軍)
「出撃」1964伊藤孝雄(陸軍)
以前にも書きましたが、戦後20年の間、日本映画界の俳優・製作スタッフの中にも多くの軍隊・実戦経験者がいて、実際に体験・見聞した特攻隊員の姿の記憶から「特攻隊員たちが、どう言う状況下で、何を考えて、最後の日々を如何に生き抜き、出撃して行ったか」と言ったテーマを描いて特攻≠フ真実を伝えようとした・・・に主眼を置いた作品が多いのが特徴。沖縄方面の特攻作戦を中心に、主に予備士官や予科練出身搭乗員たちの青春群像が描かれています。出撃前夜、芸者を挙げて馬鹿騒ぎする隊員、好きな詩集を読み直す隊員、恋人(妻や子、親)を想い一夜を過ごす隊員・・・百人百様な最後の夜。そして出撃・・・最後の杯を交わし、搭乗・・・整備員や女子勤労奉仕隊員、やっとの事で面会に訪れた家族等残された人々の涙・・・帽振れ〜の掛け声に見送られ出撃していく特攻機・・・「敵発見」の通信・・・「我突入ス・・・ツーーーーーーーーーーーーーーッ」無電の発信が途切れた時、それが特攻機の最後。しかしコレは良い方。不良な部品、未熟な整備によるエンジン不調・・・ともに最後を誓った仲間から離れ基地に引き返す・・・しかし、たどり着けず墜落・・・将に犬死に。天候不良や敵を発見できず、一日また一日と出撃が伸びていく。「散る桜、残る桜も散る桜」苛立ち、些細な理由で起きる隊員どうしの喧嘩・・・そして、遂に訪れる出撃。しかし次の日には、また新しい特攻隊員たちが基地に着任してくる・・・繰り返される悲劇。
《第二期特攻映画作品》
「あゝ零戦」1965本郷功次郎(海軍)
「ゼロファイター大空戦」1966加山雄三(海軍)
「あゝ同期の桜」1967鶴田浩二(海軍)
「あゝ予科練」1968鶴田浩二(海軍)
「あゝ海軍」1969中村吉右衛門(海軍)
「花の特攻隊あゝ戦友よ」1970杉良太郎(海軍)
「最後の特攻隊」1970鶴田浩二(海軍)
「あゝ決戦航空隊」1974鶴田浩二(海軍)
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08月31日(土)
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