ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File129】男たちの硫黄島・・・C海軍衛生下士官は二度ハタ(星条旗)を揚げる?【前編】
さて、ジェイムズ・ブラッドレー著『硫黄島の星条旗』の中の記述によれば・・・山頂に星条旗が翻った後に日本兵の小規模な反撃が起こった・・・と言う事になっています。しかし幾つかの米国内のサイトの記述によれば、日本兵の反撃は星条旗掲揚前に起こった出来事・・・とされているのですが、実際史実はどうだったのでしょうか?少数の日本兵による反撃の模様は・・・最初に飛び出して来た日本兵は、海兵隊員のハロルド・ケラーが射殺・・・次の日本兵を同じく海兵隊員ジェームズ(チック)ロブソンが射殺・・・更に怒り狂った日本軍将校が、折れた軍刀を振りかざしながら突っ込んできた様ですが、星条旗に近づく直前に射殺された・・・そうです。また無人と思われていた幾つかの洞窟陣地から手榴弾が飛んで来た為に、海兵隊員たちは素早く遮蔽物の陰に身を隠すと、今度は自分たちの手榴弾を洞窟目掛けて投げ返し、そして手榴弾の爆発が静まるやいなや、今度は洞窟を火炎放射器で焼き払いました・・・結局この小規模な銃撃戦は十数分間続いた様です。この戦闘における海兵隊側の唯一の負傷者はルイス・ローリー軍曹で、日本軍手榴弾の爆発を避けようとして足を踏み外し、山の斜面を20〜30フィートほど転がり落ちたそうですが、幸いにも軽い打撲症・・・またカメラは破損しながら、幸運にもフィルムは無事だったそうです・・・この事からも日本兵の反撃は、最初の星条旗が掲揚された直後の事だと推定されます。

【写真】星条旗の掲揚直後、周囲の不穏な雰囲気に一部の海兵隊員たちが気付いた・・・って言う風なキャプションが付けれそうな写真。
【写真上】日本軍の攻撃に対し散開し、反撃に移る海兵隊員たちの緊迫したショット・・・写真右端の海兵隊員はヘルメットを被ってないのでハンク・ハンセン軍曹と思われる。【写真下】上陸海岸側の斜面において、カービン銃で日本兵に射撃を加える海兵隊員・・・山頂での戦闘が続く最中も、海岸では続々と兵員・兵器・物資の揚陸が続けられていた。
【写真上】日本軍の攻撃を撃退し、星条旗の周囲でホッと一息吐く海兵隊員たち。【写真下】摺鉢山の旧火口側からの日本兵の攻撃を警戒する海兵隊員たち。

実は後に判明(戦利記念品目当てで洞窟内に入った海兵隊員が発見)した事ですが、山頂に星条旗が掲揚された時点では、シュリアー中尉指揮の強行偵察小隊42名の約4倍以上・・・200名近い・・・の日本兵が、摺鉢山山頂付近の地下陣地の中で生存していた様です。しかしこれら日本兵たちは、反撃する事もなく地下陣地内で手榴弾によって集団で自決していました・・・この状況は『硫黄島からの手紙』でも描かれていました・・・これらの集団自決は、米軍の攻撃によって上級指揮官(将校)の多くが戦死し、組織的な統制を失った中で突発的に引き起こされた集団自決ではないかと思われます。山頂での小規模な戦闘が終了した後、摺鉢山には海兵隊の増援部隊が送り込まれ、山腹や山麓での日本軍陣地の掃討戦が数時間以上も続けられました。

【写真上】摺鉢山の中腹で日本兵の掃討戦を行う海兵隊員たち。写真左上の山頂付近に海兵隊員と星条旗らしき物が確認出来る。【写真下】星条旗が翻る山頂近くの斜面で日本軍陣地の捜索を行う海兵隊員たち・・・ハンドトーキー型無線機で本部と交信する分隊長(?)の右肩横に開いているのは日本軍陣地の銃眼だろうか?海兵隊員が小銃に着剣しているのが興味深い・・・陣地から飛び出てくる日本兵との白兵戦を想定しているのだろうか?

摺鉢山の山頂に送られた海兵隊の後続部隊には、米国内のマスコミ各社の従軍報道班員たちが同行を許されていました。既にご存知の通りローゼンソール一行もその中に含まれていた訳ですが、彼らは1945年2月23日の正午頃に山頂に到達・・・早速カメラマンたちは写真を撮影し始め、記者たちは頂上にいる海兵隊員たち相手に取材を開始しました。そんな中シュリアー中尉の指揮の下、星条旗の交換作業が黙々と行われていた訳です。

【写真】摺鉢山山頂に到達し、最初の星条旗の下でポーズを取って記念撮影するローゼンソール他の従軍報道班員たち。

【硫黄島の三番目の星条旗の掲揚】

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01月26日(金)
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