ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File075】LAST STAND・・・アラ、モ〜ッ忘れたの!¢ス勢に無勢【中編Vol.1】
アメリカ人が困難な状況に陥った時に気合を入れる?為に発する台詞と言えば、今じゃREMEMBER 9.11・・・同時多発無差別テロの屈辱を忘れるな▼・・と言う意味でしょうか。ところがこの言葉には基となった言葉があって、それは太平洋戦争の発端となった旧日本海軍による真珠湾奇襲をその語源としたREMEMBER PEARL HARBOR・・・真珠湾を忘れるな≠ナす。まあルーズベルト大統領による戦意高揚プロパガンダ用語の傑作と言われておりますが、実はこれにも基となった言葉があります。それが「REMEMBER THE ALAMO・・・アラモを忘れるな」であります。19世紀前半、当時メキシコ領であったテキサスには大量のアメリカ人が移住、テキサスの独立を画策しメキシコ政府と度々衝突していました(@奴隷制を禁止していたメキシコ領内で、入植したアメリカ人たちは奴隷を所有していたAメキシコ政府は特例処置として、当初入植したアメリカ人から税金を徴収していなかった)当時のメキシコ大統領サンタ=アナは、この状況を解決する為に軍を派遣し、独立派のアメリカ人への強圧政治を始めます。これに対しアメリカ人たちは、テキサス独立運動支援の為、サム・ヒューストン将軍指揮の下に義勇軍を編成し、テキサスへの侵攻を計画します。これを支援する為に、テキサスのアメリカ人たちは、メキシコ軍の反撃ルート上にあるサン・アントニオにあるアラモの教会≠ノ立て篭もり、義勇軍編成完了までの時間を稼ぐ事になります(一説によれば、アラモのアメリカ人たちは抵抗は無理と判断してアラモ砦を放棄、ヒューストン軍への合流を画策していたらしい・・・)。やがて進撃してきたメキシコ軍(総計約3000名/歩兵2個師団・騎兵1個旅団・砲約20門)によって包囲されるアラモの砦。1836年2月23日、遂にメキシコ軍の攻撃が開始されます。これに対しアラモ砦正規守備隊(66名/諸説有り)指揮官ウィリアム・バレット・トラヴィス大佐(実直な軍人/最後までサーベルを振るい奮戦するも敵弾を受け絶命/演じるはローレンス・ハーベイ)地元義勇兵(100名/諸説有り)指揮官ジェームズ・ブウイ大佐(勇猛果敢な大地主・・・ブウイナイフと呼ばれる太っといナイフで有名/負傷して寝かされたベッドの上からライフルで応戦するも敵弾を受け絶命/演じるはリチャード・ウィドマーク)テネシー州からの義勇兵(23名/これは正確な史料が残ってる)指揮官デヴィッド・クロケット大佐(元テネシー州下院議員の伝説の英雄・・・アライグマの毛皮の帽子がトレードマーク・・・テキサス救援を反対したテネシー州民にお前たちは地獄に行け!俺はテキサスに行く!!≠トな暴言を吐いたとか・・・カッコェー/最後は弾薬庫で自爆/演じるはジョン・ウェイン)等アラモ守備隊首脳部≠ニその家族が立て篭もったアラモ砦≠ヘ、教会(礼拝堂)を拠点として3m程の防壁が、ほぼ長方形に築かれた小さな砦です。こんな砦で15倍近い敵に対し守備隊将兵は奮戦(メキシコ軍の二度の総攻撃を撃退してる)し、ヒューストン将軍にとって貴重な13日間を守り抜き・・・そして運命の3月6日メキシコ軍による最後の降伏勧告(拒否)と非戦闘員の退去勧告(一部を承諾)後、メキシコ軍の第三次総攻撃≠ェ開始され、遂に数名の非戦闘員(トラヴィス大佐の副官ボナム大尉の夫人とその娘・・・メキシコ軍の敬礼の中、静かに砦を去るシーンが印象的)を残し、アラモの砦は玉砕・陥落LAST STAND@∞LAST STANDA∞LAST STANDB≠オたのでした。この様に全くの多勢に無勢≠ネがら守備隊が善戦できたのは@メキシコ兵(装備は充足していたが訓練不足)に比べ士気が高かったA銃砲の性能がよかった(兵力の割に装備した大砲の数(14門)が多く、中でも18ポンド砲はメキシコ軍の大砲に比べ2倍近い射程があった。またメキシコ軍は仏式軍装(総攻撃前に整列するシーンは結構カッコ良い)だが、装備した主力小銃は英軍払い下げのブラウン・ベス・ライフル(1809制式採用で1815年のワーテルロー戦時の主力マスケット銃)で射程が短かったと言う点が上げられます。反面メキシコ軍は、数の優位によって勝ったとは言え戦術的ミスが極めて多く、驚くなかれ死者800名以上(史料によってマチマチですが・・・)負傷者600名以上と総兵力の半分もの損害を出しています。そしてアラモ玉砕から46日後の4月21日、ヒューストン指揮下の義勇独立軍(783名)とサンタ=アナ指揮下のメキシコ軍(約1400名)がサン・ジャシント(神風特攻にやられた護衛空母にそんな名前の艦があったなぁ)で激突・・・しますが、アラモでの大損害によって戦意を喪失していたメキシコ兵は、未だ2倍近い戦力を有しながらも、義勇独立軍の猛攻に耐えきれず、これまた死者600名以上(捕虜700名以上)の大損害を出し、壊滅(因みに独立義勇軍側の死者は僅かに9名)指揮官サンタ=アナも農民に変装して逃げる途中で捕虜となり、遂にテキサスは独立を勝ち取ります(テキサス共和国は、その後1845年アメリカ合衆国に加盟)その後、アメリカは結果的にメキシコからカルフォルニアとニューメキシコも分捕ってしまうのは、また別のお話です。まぁとにかくアメリカ人にとって「アラモ」はフロンティア・スピリッツ、ヤンキー魂の象徴なんですな・・・。

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02月13日(木)
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