ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File072】祝・製作四○周年記念特別編発売・・・『大脱走』附属特典編
D原作(ハヤカワ文庫刊)には、こんな設定が・・・
原作者は実際に脱走に参加した豪州のジャーナリスト、ポール・ブリックヒルで『暁の出撃1955』『殴り込み戦闘機隊1956』の原作者でもある。
原作の中には(a)実際の脱走は、映画で描かれた様に米国独立記念日の後ではなく1943年3月24日(b)捕虜代表の大佐(マッシーと言う名前)は第一次大戦からのベテランで、無理に飛行する必要なかったのに准将昇進一歩前の功名心の焦りから出撃したところ撃墜された(c)アッテンボローが演じたバートレット飛行中隊長≠フモデルとなったのは南アフリカ出身の英空軍将校ロジャー・ブッシェル≠ニいう人物(彼も脱走途中に捕まり死亡/30代前半)で20代の時には英国を代表するスキー選手だった。そして目の横にあった傷はスキーで転倒した時に出来た傷でゲシュタポの拷問による傷ではなかった(d)トンネル掘りメンバー中に東京初空襲に参加した兵士が居て、渾名がトーキョー≠セった(e)脱走発覚後、怒り狂ったヒトラーは脱走捕虜の「全員射殺」を命令したが、ゲーリングが宥めて「半数以上射殺」に改めさせた(f)収容所を視察に来た独軍高官の乗用車の中から、隙を突いて懐中電灯・地図・独陸軍便覧を拝借した捕虜たちに対し、収容所長から「軍事機密」である陸軍便覧だけでも還してくれという依頼が来た・・・後日返還された陸軍便覧には「英国検閲局検閲済」というスタンプが押されていた・・・(g)実際の捕虜たちは絶えず食料不足に悩まされていた・・・菜園作りも専らトンネルの土砂を隠す為だけではなかったらしい。

E実はトンネルはもう一本掘られていた・・・
連合軍各捕虜収容所で密かに作られた脱走委員会≠ナは、総指揮官(委員長)をビッグX≠ニ呼び、その指揮下の各部リーダーをスモールX≠ニ呼び、脱走について機能的な組織が作られ、効率的にトンネルが掘られていた。掘られた3本のトンネルは、それぞれトム∞ディック∞ハリー≠ニ名付けられていた(独立記念日の騒ぎの中で発見されるのはトム)が、しかし実際は「ジョージ」という4本目のトンネルが掘られていた。

F脱走に成功したのは・・・やはり3名
計画では250名だったが、実際に脱走に成功したのは76名。親衛隊及びゲシュタポに追跡された50名は逮捕後殺害されたり逃亡中に射殺されたが、国防軍(主に独空軍)に追跡・逮捕された11名は元の収容所と送り返され、他の12名は別の収容所に送られた。結局脱走に成功したのは映画で描かれた通り3名。

G今でも人気のA-2ジャケット
マックィーン演じるヒルツ大尉が粋に着こなす米軍のフライト・ジャケットは、今も人気の高いA-2ジャケットだが、戦時中の米国ROUGH WEAR社製オリジナルではなく、戦後リペイント(ダークシールブラウンカラー)されたもの。

Hシネスコ画面左側に注意せよ!
テレビで大脱走≠観た世代にとって、DVDのシネスコサイズ(ワイド)で観ると驚愕の発見の連続である。テレビでは実際の画面の内3割程度しか映っていなかったからで、さらに嬉しいのは水戸黄門の電信柱≠フ如く映らなくてもいいシーンまで映っていたりする。

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12月23日(月)
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