ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File065】これを観て何を想う・・・何だコ〜リャ 愛のタリホー【ネタバレ警報】
「Battle of Britain:=英国の戦い」まあ今さら説明の必要もないでしょう。フランス降伏(1940)により英国は孤立、苦しい戦いを続ける事になります。ヒトラーはソ連と事を構える(1941)前に、後背の憂いを絶つ為の英国侵攻(あしか作戦)を計画。その前哨戦として制空権確保を狙った英国本土上空での一大航空戦が開始されます。これが「Battle of Britain=英国の戦い」(以下略BOBBand of Brothers≠ナは無い)と呼ばれる戦いです。主な戦闘は1940年7月初旬から10月末まで行われますが、その前後でも幾つかの空戦が行われているので「英国上空での戦闘」は大体半年ほど続いた事になります。戦闘は英空軍戦力の壊滅を狙った独爆撃機隊(ハインケルHe111・ドルニエDo17・スツーカJu87)と護衛戦闘機隊(メッサーシュミットBf109・Bf110)の攻撃を英戦闘機隊(スピットファイヤMkT・ホーカーハリケーンMkT)が迎撃すると言う形で繰り返されました。初期には2倍近くの航空戦力を有する独空軍の奇襲作戦と英空軍の戦闘機戦力の不足、迎撃態勢不備などにより、独軍側が大きな戦果を上げました。しかし戦闘が経過するにつれレーダー網を主とした、英軍の早期警戒システムの整備や迎撃戦闘機の増産、英連邦各国や米義勇兵、ポーランドやチェコ、フランスからの亡命兵士によるパイロットの増強で防空体制が強化され、独空軍の損害が急増、当初は世論を気にしたヒトラーが躊躇していたロンドン空襲も実施されますが、独空軍への戦力補充が続かず制空権の確保に失敗、遂に英本土攻撃は無期延期となり、戦局は独ソ開戦へと転換されます。BOBは英首相チャーチルをして「有史以来・・・これほど多くの人間が、これほど少ない人間に、これほど多くの恩を被ったことはない」と言わしめた、将に戦史に残る戦闘だったのです。
「ダーク・ブルー」(以下略DBW)に登場するチェコ義勇パイロットたちは、ドイツによるチェコ併合(1939)後、独軍への帰順を拒み国外に亡命した人たちですが、その後亡命先のポーランドやフランスも独軍に屈した為、英国へと再亡命して来た訳です。しかし会話の問題や誘導管制方式による迎撃戦や戦闘機に慣れる為、当初は戦闘に参加できませんでした。合計86名のチェコ人パイロットがBOBの戦闘に参加、幾つかの飛行中隊(英空軍飛行中隊:初期は12機編成→後半16〜24機編成)が編成され、また幾人かは英国人中隊に配属され戦いました。チェコ人義勇飛行中隊で最も活躍したのが、リー・マロリー空軍少将指揮下第12戦闘機集団(英国中部守備)所属の第310飛行中隊(ハリケーン装備)で、ロンドンに近いダックスフォード基地より連日迎撃に出撃していました。軍用機マニアの間では、その無骨なスタイルからスピットに較べ人気が低いハリケーンですが、装備機数はスピットよりも多く、実際熟練パイロットであればメッサーとも互角の戦闘が出来たようです。このDBWの主人公フランタ中尉以下のチェコ人義勇パイロットたちは、英国人との混成中隊に配属されており、ハリケーンでなくスピット装備という設定です。
なおBOBに参加した各国パイロットの内訳は(「空軍大戦略」エンドロールより)
英国空軍及び英連邦各国空軍 1822名(内戦死339名)
英国海軍 56名(内戦死9名)
オーストラリア 21名(内戦死14名)
ニュージーランド 73名(内戦死11名)
カナダ 88名(内戦死20名)
南アフリカ 21名(内戦死9名)
南ローデシア 2名(戦死無し)
アイルランド 8名(戦死無し)
アメリカ合衆国 7名(内戦死1名)
ポーランド 141名(内戦死29名)
チェコ 86名(内戦死8名)
ベルギー 26名(内戦死6名)
自由フランス 13名(戦死無し)
イスラエル 1名(戦死無し)・・・でした。

【その参:BOBを扱った映画と外国人義勇パイロットが登場する作品の事】
『空軍大戦略1969』 

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11月03日(日)
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