ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File055】あゝ邦画戦争映画は燃えているか・・・THE LAST KAMIKAZE・・・特攻編
神風$「間一般的にはカミカゼ≠ニいう呼び方をされていますが、正式にはシンプウ≠ニ呼びます。「神風特攻第一金剛隊=シンプウトッコウダイイチコンゴウタイ」って呼び方です。「カミカゼ」って呼称は、戦時中に新聞等当時のマスコミが報道する際に用いた単語≠ゥ米軍が使用した単語≠ェ戦後定着したものではないか、と思います(ATF私見)しかも、この神風≠フ呼称は日本海軍における航空機による特別攻撃作戦を示し、基本的には海軍による他の水上・水中特別攻撃作戦や陸軍による航空特別攻撃作戦を示す呼称としては用いられていません。陸軍の場合は「陸軍特攻万朶隊=リクグントッコウバンダタイ」という呼び方です。しかしその作戦・・・爆装した航空機(他に特殊潜航艇やモーターボート等)を操縦して敵艦船に自爆攻撃をかける・・・が人類史上あまりに特異な行為だった為「カミカゼ」は世界中に知れ渡ります。「神風」という言葉自体は、鎌倉時代の「元寇の役」の折、来襲した元の大軍が暴風雨に遭って壊滅した故事から生まれた「日本国の危機の時には、必ず神風≠ェ吹いて国を救う」という戦時中のプロパガンダによって生まれた言葉ですけどね・・・。戦闘により機体に被弾し、帰還が困難となった場合、敵艦等に体当たりする行為自体は、以前から存在していましたが、正式な作戦行動として行われるようになるのは戦史に名高い?「栗田艦隊謎の反転」が行われた翌日。昭和19年10月25日比島方面第一航空艦隊(大西瀧治郎中将指揮)隷下の第一神風特別攻撃隊【総指揮官関行男大尉(海兵70期)「朝日隊」「山桜隊」「菊水隊」「大和隊」「敷島隊」「彗星隊」「若桜隊」】(それ以前にも第二十六航空戦隊有馬正文少将搭乗機の体当たり攻撃や、第一神風特攻大和隊久納中尉・・・戦果未確認・・・等があった)によって行われた作戦が最初で、非常に大きな戦火を挙げたのは、みなさんご存知の通り・・・連合艦隊主力が、空母3戦艦3巡洋艦12駆逐艦11という大きな損害を被りながらも、大した戦果が挙げられなかったのに・・・。主力水上兵力が壊滅した日本軍にとって、特攻は以後日常的な攻撃方法(比島方面→S20/2→沖縄方面)へと変化(航空攻撃以外にも水上・水中特攻兵器の開発・部隊編成が行われます)して行き、終戦の日まで継続(海軍・陸軍合わせて総数約4000名もの尊い人命が投入)されるのですが、米軍側の対空・対潜防備の強化に伴い、その戦果は大きく減少して行きます。

【神風特攻♂f画作品の系譜】
以前にも書きましたが、戦争映画の分類の中で主に邦画でしか製作されていない(作られたとしても僅か)のが、明治期の戦争(主に幕末・日清・日露戦争)と太平洋戦争における特攻・原爆・終戦・シベリア抑留などをテーマとした作品です。中でも作戦発案者大西瀧治郎中将をして統率の外道≠ニ言わしめた、戦史上類を見ない自殺戦闘行為特攻≠描いた作品は邦画でしか観られません。ハリウッド作品の「全艦発進せよ」等の様に神風特攻(日本軍機の体当たり攻撃)シーンを挿入した作品は幾つか観られますが、作戦に参加する特攻隊員の姿を描いた作品は、やはり邦画だけの様です・・・それでは邦画作品において特攻はどの様に描かれて来たのでしょうか?戦後最初に特攻を描いた作品は、戦後8年目の1953年6月に公開された「雲ながるる果てに」だと思われます。以後、戦後日本の歩みとともに数多くの特攻映画作品(または特攻シーンを挿入した作品)≠ェ製作されましら。それらは主に航空機による特攻≠描いた作品ですが、他に人間魚雷回天特別攻撃隊≠描いた作品や戦艦大和による沖縄水上特攻≠描いた作品も製作されています。それでは時代を追って各作品を上げて見ましょう。

【特攻映画航空攻撃編(タイトル・公開年・主演俳優・陸海区分)】

《戦時下特攻映画作品》
「最後の帰郷」1945宇佐美淳(陸軍)

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08月31日(土)
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