ID:43818
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by kai
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■『教皇選挙』
『教皇選挙』@kino cinéma新宿 シアター1

確信を持たないことこそが信仰を信仰たらしめる、と確信(確信しちゃダメだって)。そしてアカデミー賞の結果は、現在のハリウッドというかアメリカはこれを受け入れ(られ)ないという表明でもあったのかもしれないな 『教皇選挙』

[image or embed]— kai (@flower-lens.bsky.social) Mar 23, 2025 at 20:25
神は見ているだけだが、それでも神の御業というものはある。と信じてしまいそうになる。ローレンスの迷いが決意へと振れた途端、雷(ここはいかずちと読みたい)が落ち(たかのように爆発が起こ)る。しかしそれは、異教徒によるアタックだ。では、これは「どの」神の御業か? ひとりの神を信じるものは、常に疑念に満ちている。だからこそ、信仰から離れられない。

原題は「コンクラーヴェ」。「根比べ」と響きが似ていることから、日本での認知度は高いように思う。記憶を辿ればこの言葉を知ったのはヨハネ・パウロ2世が亡くなったときかな。投票結果を煙突からの煙の色で知らせることもこのとき知った。

しかしそれが投票用紙を燃やした煙だったこと、教皇の死後“漁師の指輪”を破壊し、遺体を運び出したあとの執務室を封印することは知らなかった。真っ白な傘が集まる鳥瞰、鮮やかなローブの色合い、遺体搬送車の振動に揺れる遺体袋。普段部外者が目にすることがない聖なる風景、その風景に跳梁跋扈する俗物たちが、圧倒的な美をもって見せられる。撮影監督はステファヌ・フォンテーヌ。鳥の声、亀の歩行、割られる封蝋。そして息を呑む、嘆息するといったさまざまな呼吸音。耳を傾けずにはいられない。サウンドデザインはベン・ベアード。

上質のミステリーでもある。少しずつ降り積もる謎、少しずつ積み重なる情報。脚色のピーター・ストローハンによる手札の出し順が絶妙。エドワード・ベルガー監督の手腕は繊細かつ豪快。

外部からの情報遮断のため隔離された枢機卿たちは、策謀と駆け引きに明け暮れる。アメリカ、カナダ、イタリア、ナイジェリア、そしてアフガニスタン(!)……世界各国から集まる枢機卿たちが話すのは英語、イタリア語或いはラテン語。ヨーロピアンも、アフリカンも、勿論エイジアンの姿も見える。これだけ多言語、多文化なのだから、寛容でいてこそ神に仕える者だろうと思うが、そんなこといったらカトリックの起源はローマだろうがよ〜ざけんなだったらヘブライ語喋れよいやアラム語だろって話になって争いが生まれるんですね。バベルよ……。首席枢機卿のローレンス(イギリス人)が、母語以外の言葉でまくしたてられて返答に詰まる場面があった。そこで反射的に適当なこといわないところは彼の善性でもある。

候補者と目される人物たちは、どいつもこいつもよぉ〜といいたくなるような俗! 俗!! 俗だらけ!!! 皆教皇になる器じゃねーだろー!!! というのが観客にもわかるくらいなのが滑稽で、もうずっとニヤニヤして観てた。風刺が強い。コメディかな? とすら思う。そんな選挙を取り仕切るローレンスの心労はいかばかりか。私は修道院生活をしたいんだよ〜こんなお務め早く辞めたい! わかる。くたびれ果てた末「どいつもこいつも……もう私がやるしかない!」と決意しちゃうのもわかる。就任したときの教皇名迄考えちゃう。投票用紙に自分の名前書いちゃう。すると絶妙のタイミングで神(異教のだけどな)の鉄槌が下される。これはもうショック。ショックしかない。私の決意は使命感からではなかったのか、名誉欲にかられただけなのかって呆然としちゃうよね……。神は! 私を!! 教皇の器ではないと仰った!!! ごめんなさい気の迷いでした!!!!! って泣いちゃうね。でもその神って、どの神? いやーここさ、『ことの終わり』を思い出す“奇跡”だった。神との約束は、なんて皮肉なものなのだろう。


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03月23日(日)
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