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by kai
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■彩の国さいたま芸術劇場開館30周年特別企画『夏の夜の夢』
彩の国さいたま芸術劇場開館30周年特別企画『夏の夜の夢』@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

真冬に観る『夏の夜の夢』もいいもんですね、父権制国家を(妖精の魔法に左右されない)女性の視点から描いた演出もよかった。タイテーニアが小姓の母親との思い出を語る台詞を、終盤の(戯曲にはない)シーンに繋げたのは見事だったな…

[image or embed]— kai (@flower-lens.bsky.social) Dec 15, 2024 at 0:46
吉田鋼太郎演出は台詞が立つなー! 実力のある演者揃いだからというのもある、翻訳劇の醍醐味。この作品を今上演するなら、という解釈がしっかりあり、同時に今上演することの限界も見せる。しかしそれでもこの作品が上演され続けるのは何故か、という道筋も見通せるようになっている。そこに感銘を受けた。

性別格差と階級格差が反映された法律による統治。それらを当然のこととして受け入れ生きていく市民。鷺沢萠が自作の『ウェルカム・ホーム!』について、「この作品の理想は、社会が変わり『なんでこんなことが作品になるの? あたりまえのことなのに』と思われ、いつの日か上演されなくなること」というようなことを話していたな、と思い出す。今も世界の多くの場所で、妖精たちが留守にしている国で、1500年代と変わらぬ苦しみを受けている女性たちがいる。抑圧されている市民がいる。これは今自分が生きている時代、国もそうではないか──『夏の夜の夢』が過去の価値観に囚われた“古臭い物語”となるのはまだまだ先のことなのだ。

とはいえ、この作品に描かれているのはそうしたことばかりではない。父権や法律に立ち向かい思いを遂げる恋人たち。演じる楽しさを教えてくれる職人たち、それを観る愉悦を伝えてくれる公爵たち。そして姿は見えないが、そこにいると思わせてくれ、ときに人間に幸せを呼ぶ妖精たち。物理的な高低で見せられる階級の差、高くて安全な場所からヤジを飛ばしていた公爵たちが、次第に素人芝居に引き込まれ静かになる。喜劇は悲劇となり、また喜劇となる。シェイクスピアは演劇の力を見せてくれる。カットされがちなこの劇中劇がしっかり上演され、それが自然と拍手を呼ぶ。そこに演出家の目を感じる。

素人芝居を演じるプロフェッショナルな演劇人(ややこしい)たち。それが技巧によって演じられていると理解していても涙が出る。ひたむきさには違いないのだ。その職人たちのなかにニナカン組(塚本幸男、飯田邦博)がいるというのも、個人的には涙腺が緩むところだった。

そして冒頭ツイートにも書いた、小姓の母親との思い出を語るタイテーニア。この台詞がこんなに立って聴こえたのは初めてだった。シスターフッドを感じさせるものとしても、今聴けてよかった。そりゃ簡単にオーベロンに渡せないわよねと思ったもん……オーベロンも気軽にくれとかいうなやー。だからこそ、台詞のない(=戯曲には明記されていない)シーンとしてタイテーニアのもとへ戻る小姓が加えられていたことに胸を打たれた。ここ、オーベロンが小姓を手に入れ満足して、懲らしめてやったタイテーニアの魔法を解くという描写になっていることが多いんですよね。今回の演出だとオーベロンとタイテーニアが復縁し、小姓をふたりで育てていくと解釈することが出来る。さりげないことだけどこういう目配りはうれしい。

同様に、ヒポリタとシーシュースの対立──ヒポリタにとってこの結婚は不本意なものである、屈辱ですらあるかもしれない──を示したツカミにも唸る。目から鱗。いやさ、『ガラスの仮面』刷り込みが甚だしいんだなとも改めて自覚しましたよね……思ってるより影響大きいわ。それをいったら、40分で地球を一周出来そうに見えない(失礼)のに「いや、案外出来んじゃね……?」と思わせるチャームを持った、バリの小鬼のようなパックもかわいかった! 北島マヤとは違う魅力のパック(笑)! 作品に造詣の深い演出家と、その演出の狙いをしかと理解し体現した演者によるクリエイション。これ見よがしではないテキレジってだいじよなとしみじみ。


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12月14日(土)
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