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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『台風23号』
『台風23号』@THEATER MILANO-Za

カナブンとカブトムシのエピソードに注ぐ視線、そしてそれを描ける筆。この劇作家の作品を観続けている所以 pic.twitter.com/DtRbby9Ysx— kai ☁️ (@flower_lens) October 26, 2024
ポスターとか貼ってなくてサイネージで作品やキャストを紹介してるってのがイマドキ。SNSにアップしちゃいけないんだよなーと思いつつ撮ってたが、思えば森田くんはもうJ事務所所属ではないのだった。

ケラさんが仰ってたとおり、確かに本多くらいで観たい作品ではあった。しかしあの美術(BOKETA…って小松信雄さんだよね?)は、この劇場の広さと高さあってこそ。坂道の多い、海沿いの地方都市が、舞台に見事に落とし込まれていた。個人的に「赤堀雅秋の間取り」と呼んでいるものがあるのだが(台所、四人がけの食卓、その後ろに階段、トイレ、玄関への昏い廊下、開かずの和室)、近作は家を出た「赤堀町」のようでもある。イキウメの「金輪町」にも通じる劇空間。屋外にある階段では、さまざまな生活者が交差する。『ボイラーマン』に続き、段差によって空間を使いこなす。「持て余してるなあ」と思う箇所がない。

出演者はめちゃめちゃ声を張っていた。ラウド過ぎる、と感じるくらい。しかし思えば赤堀さんはラウドな演出をよく使う。『散歩する侵略者』でもそうだった。名前のとおり107席の小劇場で、神経を逆撫でするかのように大声で話す登場人物たち。彼らは誰に向かって話しているのだろう? 観ているうちにその背景を、生活を想像するようになったのだった。

目の前にいる相手との距離を測れない登場人物たち。余裕がない、いっぱいいっぱいの彼らは、かろうじて自分を保つため、相手だけではなく自分自身にも言い聞かせるように大声を出す。あるいは、目の前にはいない誰か──スナックの中にいる人物、カーテンの向こうからこちらを覗いて(見張って?)いる人物──に届けるかのように大声を出す。

お金も時間もなく髪も髭も伸ばしっぱなし、遂にはアロンアルファでくっつけていた差し歯迄抜けてしまった宅配業者は、仕事用(スマホ)と私用(ガラケー)、ふたつの携帯を使う。私用がガラケーなのは、前述の理由と同じで生活に余裕がないためかもしれない。彼もやはりラウドに話すが、それでも相手により、微妙に声の色合いが変化する。第三者に業務の過酷さを訴える声、身勝手な顧客を非難する声、仕事中に電話をかけてくる妻を諌める声と、その声で出た電話の相手が子どもだったことに気づき、慌てて変える声。息子からカブトムシの羽化をリアルタイムで見たという報告を受けた彼は、今にも泣き出しそうな、とてつもなく優しい声で祝福を伝える。

一方カナブンは、必死の報告として伝えられる。気まずい雰囲気を取り払おうと、優しい警官はオチを先にいってしまったことにも気付かず喋り続ける。蛹から出てきた成虫のカブトムシ、背中にとまっている、綺麗なボタンのようなカナブン。劇作家は、言葉により観客の心のなかにその情景を浮かび上がらせる。

ネコではなくイヌ。笑顔で仕事をこなすヘルパーさん。ヘルパーさんと寝ているのに、ヘルパーさんをヘルパーさんとしか呼ばない人妻。そのヘルパーさんから気持ち悪いといい放たれる人妻の夫。早く死にたい父親と、早く死んでほしい娘。がんを宣告されてなお手術をためらう母親と、生きていてほしい娘。パチンコと真剣に向き合う恋人たち。一触即発の緊張感は、来るか来ないかわからない台風に重ねられる。『恋の片道切符』からずっとある戦争の気配は、遂に「戦争だ!」という台詞となり観客に投げられる。海の向こうで戦争は始まるのだろうか? 海沿いの地方都市は、戦争と災害に襲われたらひとたまりもない。小さき神の、作りし子らはそれでも生活を続けている。皆ヘンで、皆必死。


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10月26日(土)
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