ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■東京バレエ団『ザ・カブキ』
東京バレエ団『ザ・カブキ』@東京文化会館 大ホール
東京バレエ団『ザ・カブキ』初日、やっと観られた〜 素晴らしかったというのをちょっと憚ってしまう程圧巻というか迫真だった(何せ『仮名手本忠臣蔵』がベース=討ち入りの話ですから)…音楽や義太夫は録音だけど附け打ちはライヴ pic.twitter.com/jkJOSMsTq2— kai ☁️ (@flower_lens) October 12, 2024
かなり持っていかれてしまい、終わったあとは放心というかぐったり。帰り道の足取りもふわふわ。SNSの感想を読み漁ってみたが、そういうひとは多かったようだ。世が世なら(というかそれって今、か?)戦意高揚に利用されそうで怖い、と迄思ってしまう程圧倒されてしまった。しかし同時に、彼らが打ち首ではなく切腹、という情状酌量へとお上を動かした世論というものも考えた。そうすると読み解きも変わってくる。理不尽な死への異議申し立て、忠義の死への賛美ではなく悲嘆。
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人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』を題材に、モーリス・ベジャールが東京バレエ団のために創作した作品。歌舞伎に忠実な話運びで、五段目の猪もちゃんと出る(!)。黒子による転換も歌舞伎に倣っている。そして所作の美しさ! 見得も六方も、バレエに昇華されている。日本文化への深い理解と敬意……振付、演出、美術といった枠だけでは捉えきれない、芸術家としてのベジャールに舌を巻く。照明とシルエットで見せた大詰の雪も見事だった。紙吹雪はフロアが滑るのでダンス公演ではとても危険。どうするのかなと思っていたのだが、ちゃんと雪だと観客が了解出来る美術だった。
現代の若者が江戸時代にタイムスリップするという導入にまず面喰らう。黛敏郎による音楽も、電子音を使った薄っぺらい(意図的だろう)楽曲。きらびやかな街の映像、せかせかと動きまわり働く日本人の情景を無気力に眺める若者。タブレットやスマホ、キックボードにLUUP等、ベジャールが存命中には存在しなかった、あるいは普及していなかったであろう小道具もちらほら。上演される毎にアップデートされているのだろう、何しろ“現代の”シーンなのだから。ああ、この光景をベジャールさんに観せたかった…と感じ入りつつ、それなら衣裳もアップデートしていいのでは……? などと思う。“現代”にしてはあまりにも80年代バリバリなファッションなのだ。ここは若干違和感があった。SNSでもダサセーターいわれてたな(笑)。
ただその軽薄な時代からタイプスリップし戸惑う若者が、理不尽な死を目撃し、赤穂浪士を率いる由良之助へと変貌していくとさまがあまりにも納得の流れで、すっかり引き込まれてしまう。音楽も徐々に凄みを帯び、顔世御前が舞い、四十七士が集まってくる。連判状に血判を押すシーンや討ち入りのシーン、そして切腹のシーン。コール・ド・バレエのひとつひとつが迫力もの。だいたいこれだけ踊れる男性ダンサーがこれだけの人数揃っていることに驚嘆する。
その層の厚さを示すソロイスト。主要キャストは3公演全てシャッフル、日によって違う役を踊(れ)る(柄本弾なんて1日目由良之助、3日目高師直ですよ。見もの)。一幕ラスト、塩冶判官の言葉を聴き届けた由良之助の、7分半に及ぶソロが象徴的。広い素舞台でひとりきり、体力の限界に挑戦するかのように踊る。「もう、討ち入りしか、ない!」という決意を示すかのように手を伸ばす。暗転、瞬間割れんばかりの拍手。この熱狂はまるで『ボレロ』のそれだ。これを踊りきれるダンサーが現在、最低でも3人はいるということ(秋元康臣はゲスト出演だがOBなので)。バレエ団の力量を見せつけるという意味でも、これはベジャールと佐々木忠治(NBS/東京バレエ団創設者)の大いなる財産だ。
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10月12日(土)
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