ID:43818
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by kai
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■パール兄弟 結成40周年〜ありがとう、ヤッシー〜
パール兄弟 結成40周年〜ありがとう、ヤッシー〜@原宿クロコダイル

で、パール兄弟に行ったら1曲目がトーキングヘッズの「Warning Sign」だった、これも何かの縁ですな 亡くなって一年、矢代恒彦さんの思い出も聴けて、献花も出来てよかった pic.twitter.com/dI5vUNE16z— kai ☁️ (@flower_lens) September 30, 2023
ライヴの前に行った菊地昇さんの個展で、デヴィッド・バーンやトーキング・ヘッズの写真を観ていたのでした。

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パール兄弟ゆかりの地、原宿クロコダイルで40周年のお祝い。同時にヤッシーこと矢代恒彦さんのメモリアル。ひとの死は自然の摂理なれど、末っ子がいちばん早く亡くなるなんてね。入場時にガーベラの花一輪と、「ヤッシーへメッセージを」という紙片が渡される。ステージ前に献花台と遺影。といっても、すましたヤッシーはポップな赤い額装で飾られている。アー写でも使われていたこの写真、格好いいよね。好きだったなあ。なんて思っていたら、MCでサエキさんが「双羽黒に似てるっていってたよね! 元北尾ね!」とかいいだして笑ってしまった。そう、フロアは常に笑いに溢れていた。しんみりしつつも楽しくお別れ出来てよかったな。パール兄弟はそうでなくちゃ。

各々のスケジュールやコロナやらで、バンドセットは本当に久しぶり。その間にヤッシーは亡くなってしまい、追悼ライヴとかやらないのかなと思っているうちに一年経ってしまった。最後のステージは亡くなる2ヶ月前、ビルボードのホットボンボンズ。逃してしまった。入場前隣に並んでいたひとと話していて、「(ビルボードでは)確かにすごく痩せたなと思ったけど、まさかあれが最後になるなんて」「このまま追悼も何もやらないの? ってずっと気になってて」といっていた。実現してよかった。エスケンやバンド仲間には伝えてあったそうだが、観客は彼の病状を知らずに演奏を楽しんだ。上田現のときみたいだな。やっぱりいつが最後になるか判らない。行けなかったことを悔やんでいる。

というか多分、ボンボンズだと皆「エスケン大丈夫か? 最後迄やれるのか?」みたいな感じでエスケンに注意が集まっていたと思う。フロントマンだからというだけでなく、年齢的にも大きな挑戦だったからね。それをしっかり支えていたのが、ヤッシー最後の演奏だったんだ。

s-ken & hot bombomsのオリジナルメンバー、キーボード担当の矢代恒彦が9月27日享年62才にて死去しました。先日のライブが音楽人生最後の演奏になってしまいました。彼の魂が翼をつけて、夜空に浮遊して遥か彼方に消えていったイメージがひろがります。長文の為画像で失礼します。 pic.twitter.com/KcNVvIt3q6— s-ken(エスケン) (@dudleytt) September 30, 2022
故、矢代恒彦、“ヤッシー”、通夜と葬式、最後の別れの出棺も見届け、ただいま帰宅しました。僕のSNSでの訃報で駆けつけてくれた彼のファンの方たちにも数多く会いました。本当にありがとう。 pic.twitter.com/598AWziCiA— s-ken(エスケン) (@dudleytt) October 4, 2022
エスケンまだまだ元気でいてね!

ヤッシーがパールに参加するようになったのは『PEARLTRON』のあとくらい。私が上京してパール兄弟のライヴに行けるようになった頃には、もういるのがあたりまえだった。いない方が珍しかった。その後五男坊として正式メンバーというか兄弟になってからは、いない訳がない。「TRON岬」や「青いキングダム」で、あのシンセの音が聴こえないことに愕然とした。窪田さんの負担がかなり増えているようにも感じた。いつにも増してエフェクターを切り替える回数が多く、長年聴き慣れたものとは違う音がカラフルに繰り出される。かなりたいへんそうではあった。そしてこちらは聴こえてこないアナログシンセのあの音を脳内で鳴らす。悲しい作業だが、これがまた鮮明に思い出せるのだ。唯一無二のヤッシーの音は、こうやって聴き手の心に生き続けるのだなと思う。


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09月30日(土)
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