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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『イ・チャンドン アイロニーの芸術』
『イ・チャンドン アイロニーの芸術』@ヒューマントラストシネマ有楽町 シアター1
『イ・チャンドン アイロニーの芸術』。『ペパーミント・キャンディー』にならい、最新作から順に時間を遡る構成で、監督ゆかりの地を巡る。変わらない場所もあれば、再開発待ちだったり、廃墟のままほったらかしにされているところも。時間はアイロニーで、そして人生。 pic.twitter.com/bBQc2FViC8— kai ☁️ (@flower_lens) August 25, 2023
イ・チャンドン監督特集上映『イ・チャンドン レトロスペクティヴ4K』から、新作ドキュメンタリー。全ての作品をまだ観られていないのだが、謎の多いこの監督の背景を少しでも知りたくて、まずはこの1本。
今作の監督はフランスのドキュメンタリー作家、アラン・マザール。普段ならこういうことはやらないのですが、と、被写体となったイ・チャンドンがかつての撮影場所を訪れる。『ペパーミント・キャンディー』のように現在から過去へと時間を遡り、作品のこと、自分のことを語っていく。後述の舞台挨拶では「最後までちゃんと観ていないんです。あまりにも恥ずかしかったから。(中略)自分の作品や人生について説明するのでなおさら大変で、やらなければよかったとも思ったんですけど(笑)、観た方々は楽しんでくださったようで。(作品を)理解するうえで助けになったという声もありました」と話していたとのこと。
各作品のメイキング、ではない。撮影当時のエピソードや秘話を披露するという要素は薄い。初めて知ったことも多いが、そこには「ええっ、そうだったの!?」というような大仰な驚きはない。ただ、知れば知る程心に寂しさが降り積もっていく。だからこのひとの作品は、『シークレット・サンシャイン』のような“密やかな光”を描くことが出来るのだ。終始穏やかで落ち着いた口調。淡々と時間は過ぎる。
監督デビューが遅かったので、作品は6本と意外と少ない。活動家、教師、小説家。映画の世界へと足を踏み入れたのは、民主化宣言後。どうして映画監督になったのかの問いに、なったというよりなれた、周りが自分を認めてくれたといい、検閲がある軍事政権下で小説を書き続けたのは、光州で起こったことが大きいという。彼らが闘っていたとき、自分は花札をやっていたと語る。
興味深いのは、「だからそうした」、というところに発言が及ばないところ。足を運んだかつての撮影場所はさまざまな顔を見せる。『ペパーミント・キャンディー』や『シークレット・サンシャイン』で印象的だった川べりの様子は変わらない。『ポエトリー アグネスの詩』の川べりも変わっていないそうだ。しかし『ペパーミント・キャンディー』に出てきた長屋は半ば廃墟となっており、しかし住人はいて、ボロボロの家屋にBSアンテナが設置されていたりする。幼少の頃の住居も残っている。しかし空き家で、もうすぐ取り壊される予定だという。
社会から放棄され、忘れ去られているかのような場所。しかしいつかは“発見”されて、再開発という名のもとに真新しいものに上書きされ、かつての姿はなかったことにされてしまう。「だから」? 「そうした、そうする」を語らない背後に、「それを見つめ、憶えておく。何度でも思い出す」という思いが浮かびあがる。今にも崩れてしまいそうなかつての住居は、親戚の家を間借りしていたところ。実家としての意識は希薄なようだ。しかしそこへ足を踏み入れ、間取りを確認した段階で、家族のことが語られる。『オアシス』の彼女は、自分の姉がモデルだったという。過去形で話していたけど、今はどうされているのだろう。それは語られないが、当人はずっとそのことを憶えていて、忘れないでいるのだろう。そしてやはり、そこに“密やかな儚い光”を描いたのだ。
光州の加害者側、障碍者の生活、未成年(こども)の犯した罪、神に唾を吐く行為。表現方法はまるで違うが、こうして並べてみると意外にも松尾スズキとの共通点を感じる。タブーとされる事象を隠さず、社会が忘れよう、隠そうとしていることに切っ先を向ける。“聖”と“俗”を描く。淡々と、落ち着いて。それは受け取る側の欺瞞を暴く。せめて、目を逸らさない鑑賞者でいたいと思う。
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08月25日(金)
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