ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■イキウメ『人魂を届けに』
イキウメ『人魂を届けに』@シアタートラム

『人魂を届けに』イキウメの舞台は言葉を尽くしてなお、語らぬ者の物語る顔があることを演者が見せてくれる。宿題を沢山もらえるのも好きなところで、観続けている所以でもある。
「おいしい(と思える)もの」も人それぞれ。そしてそれはとてもだいじなこと。 pic.twitter.com/FhBKY0KZKd— kai ☁️ (@flower_lens) May 27, 2023
そして、この物語を観客に届ける演者も自身の魂を削っているのだと考える。演じる対象こそが演者の身体を、心を傷付けてはいるのかもしれないと考える。誰かが泣いている? 演劇の恐ろしいところだ。だから観客も彼らを信じ、敬意を払う。目を凝らし、耳を澄ませ、しかと向き合う。この繊細な舞台が壊れないように。創り手の覚悟を受け止められるように。

この日の客席は理想的だった。開場後のロビーはそれなりにざわめいていたが、ひとたび劇場に入ると、客席は静まり返っている。入場後すぐ目に入る、耳に届く舞台の佇まいがそうさせたともいえる。教会の入口のような天井の高い居住スペースと調度品(美術:土岐研一)、その場所が森の中にあると即座に想像出来るひんやりとした日差し(照明:佐藤啓)、定期的に聴こえてくる鳥のさえずりとピアノの一音(おそらくチューニングの基準となる「A」=「ラ」)(音響:青木タクヘイ)。この場所に足を踏み入れた者がどう過ごせばよいかのガイドとなるような場づくりが施されていた。

チラシと当日パンフレットとでは、あらすじの文言が若干変わっている。クリエイションの過程で、「現在」に向き合った結果といえる。なので今後この作品が再演されることがあれば、またその姿は変わっているだろう。魂を届けにやってきた刑務官。彼を受け入れる「母」と「森に迷う者」たち。彼らは、今後この国の在りようによって、姿を消すこともあるだろう。傷ついた者が誰もいなくなることこそが理想だ。彼らの存在を隠される、なかったことにされるのではなく。

コミュニティとは? 社会生活を送るための制度とは? 何もかもが一筋縄ではいかない。断言も断罪も出来ない。登場人物たちはひたすら言葉を尽くす。その言葉に耳を傾け乍ら、それを聴いている(その言葉を向けられている)相手の姿を見る。目を見る、仕草を見る。彼らはどんな表情でその言葉を受け取っているか? 或いは拒絶しているか? 目を凝らすと、みるみる断言出来ないものが浮かび上がる。イキウメ作品の出演者は総じて声が良い。発声、滑舌といったスキルがしっかりと基盤にあり、ジェンダーを問わない言葉遣いで書かれる台詞を観客に伝えることが出来る。

その上で、今回の大窪人衛の目、藤原季節の目には、言葉を尽くしてなお足りない、言葉では表現出来ないものがあると思わせられる強い力があった。彼らが起こした(或いはこれから起こすかもしれない)行動が予感出来るような目。恐ろしく、寂しい目。キャパ300弱の劇場だからこそ伝わる繊細な演技でもある。

見事だったのは浜田信也。幕開けの「押し買い」についてレクチャーする人物、検死官、「恋人を亡くし(失くし、かもしれない)死のうとした」人物、刑務官の「妻」をシームレスに演じ、尚且つ「今、どの人物?」といった観客の混乱を呼ばなかった。表情と所作の変化で、いつの間にか違う人物になっている。特に驚かされたのは、声色を変えていなかったことだ。声を高くしたり、歪ませたりといったことはしない。しかし、ちょっとした言いまわし、語りのスピード、語尾の変化であらゆる役を行き来している。拵えの力も大きい。ワンレングスのショートカットの分け目(ヘアメイク:西川直子)、緩やかで柔らかなスモックとパンツ(衣裳:今村あずさ)。職業も性別も、そのままの姿で“変える”ことが出来るものだった。


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05月27日(土)
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