ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『ロングショット』
『ロングショット』@スタジオ空洞

あなた(私)を見ているのは、ヒトじゃなくてもいい。でも、見ているものが確かにある。それぞれが遠くから誰かを、何かを見ている。肉体の死後にも時間は流れ、いつでも会える。そう思わせてくれるのが人間のつくる舞台であり演劇であることに光を見る。 『ロングショット』スタジオ空洞 pic.twitter.com/Myyg4sghjw— kai ☁️ (@flower_lens) March 25, 2023
人類のことは好きじゃないけど、愛すべき個人がいて、人間が生きるためにコツコツと、せっせとつくったもの──歌とか鈴とか整えられた川とかモノを運ぶのが好きなクルマとか記録するレコーダーとか──を愛しく思ってしまうひとはグッとくるのではないか。それは私のことであり、そう思う誰かのことでもある。

こういう作品に出会えるから、演劇を観るのをやめられないんだな。冥土の土産が増えていく。それは悪い気分じゃない。

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作:鈴木健太
演出:生西康典
出演(五十音順):カラス/飴屋法水・フルカワ/首藤なずな・シミズ/高山玲子・タクシー/橋本清・キューちゃん/畠山峻
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公演情報ページはこちら。活動を存じ上げているのは飴屋さんと生西さんのみ。他の方は全くのはじめまして。スタジオ空洞も初めて行く場所。小雨のなか、何度も地図で確かめ乍らようやく辿り着く。ちょっとした冒険気分。

スタジオ空洞は地下にある、横長のコンクリート打ちっ放しスペース。中央に支柱があり、観客席を二分している。その支柱の真横に座る。意外と死角はない。演技エリアの壁側にスピーカーが等間隔で並んでいる。上手側にいろいろなものが置かれている。ヴァイオリン、トランペット、鈴類(所謂すず、と、仏具としても使われるおりん)、メトロノーム、バケツ、ペットボトル、ハーモニックパイプ等々。あとになって、これはカラスの巣だったのかもと気付く。だからキラキラしたモノをこまごま集めて溜め込んでたのか? そう思うと愛しくなってくる。ウチも干してた洗濯物振り落とされてハンガー持ってかれたことあるなあ、なんてことも思い出す。かわいいかよ。怒れん。

スタジオのため舞台袖というものがなく、下手側に控え室のようなスペースがある。開演が近くなると、そこから演者たちがそろそろと出てくる。何人かは客席の背後にまわり、そこで開演を待っている。なんとなく振り向くと、飴屋さんがいた。目が合ってしまう。互いにゆっくりと会釈する。偶然だが、こういう開演前と後との境目が静かに繋がっていく感覚も心地よい。

照明は天井から吊るされている暖色の電球。暗転するとバミリも見えない。そもそもバミリはあったのだろうか? 演者たちは自由に動いているようだが、そうではない。ではどうやって暗闇の中を彼らは動きまわっているのだろう? 彼らはモノローグとダイアローグの間に、手にしたペットボトルの水を飲む。舞台袖で飲む暇がないからとも、虚構と現実が繋がっているからともいえる。

言葉のひとつひとつが胸に刺さり、同時に温かく沁みていく。心のなかで何度も頷く。しかし、噛みしめ反芻する先から忘れていってしまう。それが演劇なのだとも思う。それでもテキストで読み返したい、何度でも思い出したい。懐中電灯は車のヘッドライトになり、演者を照らすスポットライトになり、いかようにも姿を変える。楽器や小道具(といってもそれは人生の傍に自然にあるものとして存在するようで、舞台のために用意されたものですらなく感じる)が立てる物音は、舞台上の情景を次々と変えていく。雑踏、川べり、死に向かうひとがいる部屋、映画館。タクシー(カーステレオ)が唄う歌(※)で、コンビニの店名を連想する。コンビニの入店ベルはほぼ唯一のSE(他は生演奏ともいえる)。想像力と記憶力によって、観客は演劇を体験する。

※「Daydream Believer」。千秋楽を迎えたので書いておく。数十年経ったら自分も忘れてしまいそうなので(…)


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03月25日(土)
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