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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『笑の大学』
『笑の大学』@PARCO劇場
『笑の大学』初演、再演は戦後から、こんなことが二度と繰り返されてはならないという苦さをもって観た。今回は戦前という現在から、またも同じことが繰り返されている恐ろしさを観る。なんてことだ、と思う。それでも笑いに笑うことは変わらない pic.twitter.com/L1UKndtbez— kai ☁️ (@flower_lens) February 18, 2023
初演、再演の演出は山田和也だったので、三谷幸喜が演出するヴァージョンは初めて観る。他言語で上演されたもの、映画は未見。韓国語上演の初演は劇作家をファン・ジョンミン、検閲官をソン・ヨンチャンが演じたんだよなあ。観てみたかった。三谷さんがいっている通り劇作家は年齢が重要なキーになるので、今後ジョンミンさんがこの作品に出演することになったとしたら、劇作家ではなく検閲官役になるだろう。それはそれで観てみたい。
序盤、内野聖陽の台詞まわしがあまりにも西村雅彦と似ていてギョッとする。寄せたのか、役柄上そうなるのかどちらだろう。自分で喋ってみればわかるが(かなり独特ないいまわしなので、当時身内で真似したのだ・笑)ああいう口調で──終始不機嫌に、苦虫を噛み潰したように──滑舌よく話すのは結構難しいのだ。ところがこれがクリアに聴こえる。やはり巧い。何故かいちばん憶えている台詞(ホント何故)、「中で暴れて大騒ぎ」もあの声音で聴けてうれしかった。
内野さんと瀬戸さんは初共演。敵対しているともいえる立場の検閲官と劇作家が、いつのまにか協力して「笑えるホン」を書くようになる。内野さんいうところの“瀬戸康史くんとのセッション”はそれはもう見事で、“対話”を存分に堪能する。ひたすら笑い、終盤はひたすら聴き入る。
そんななか、出ずっぱりのふたりが場(=日)が変わるタイミングでそれぞれひとりになるシーンがある。初対面の検閲官を待つ劇作家、劇団の仲間たちからある仕打ちを受けたあとの劇作家。今川焼の包みをだいじそうに触れる検閲官、ホンの問題箇所を読みなおし、つい笑ってしまう検閲官。対話以外のところで、それぞれの心の動きを表現する。そのちょっとした仕草や表情が素晴らしく、次第にふたりは会うのが楽しみになっているように見えてくる。劇作家は「どんなに制限されても面白くしてやる」と思い、検閲官は「面白い箇所を指摘してやる」と思っている。明日はもっと面白くなる。はやく明日が来ないかな。ふたりがそう思っているのではとすら感じるようになってくる。だからこそ、終盤の展開は苦い。
笑いの才能があるのではとすら思われた検閲官が、あることをきっかけに権力者としての力を振りかざす。笑わせることばかり考えていると思われた劇作家が鉄の意志を見せる。そして驚くことに、検閲官はその立場を利用して劇作家を救おうとすらする。しかし、それは“間に合わない”。
喜劇作家と検閲官は解りあえないかもしれないが、それでも、という瞬間がある。「海難事故で漂流の末ロシアに流れ着いたひとたちが、笑うことで生きる気力を取り戻した」話をする劇作家(このエピソード、『月光露針路日本 風雲児たち』を観たあとだとハッとする。初演もこうだったっけ?)。「笑うことなど考えなくていいから、とにかく生き延びろ」という検閲官。全く正反対のことをいっているのに、行き着く先は同じことだ。死んではいけない、生き延びろ。
今が戦前であるというのはタモリではなく菊地成孔からの受け売りだ。その思いは日に日に強くなる。検閲するのは“お上”だけではない。市井のひとたちが互いを監視し、個人の言葉など打ち消して全体主義へと向かっていく。「おくにのために」尽くすことが、当然のことのように語られ始める。笑っている場合じゃない、不謹慎だ、こんなご時世だぞ。そうした空気は確実に拡がっている。“間に合わな”くなる前に、私たちはどうすればいいのか。ひとりひとり想像しなければならない。
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02月18日(土)
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