ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『エゴイスト』
『エゴイスト』@テアトル新宿

『エゴイスト』原作を読んでいて「何故ここを変えたああ!」ってところが一箇所だけ。しかし一人称ではないからこそ龍一とその母親、そして浩輔自身の「揺れ」が観られた。切り離せない生活とお金の話もしっかり描かれていた pic.twitter.com/5ZLYpau5Is― kai ☁ (@flower_lens) February 23, 2023
ごめん名前間違えた! 龍一じゃなくて龍太です! ホントごめんなさい!!!

高山真さんの自伝的小説を映画化した今作。原作至上主義ではないのだが、先に読んでいたため気になってしまったところがちょっとだけ。というのも、その原作で感銘を受けたのが、「生活とお金」と「自立すること」についてだったのだ。「自立すること」の展開が変わっていたことに驚いた。しかし同時に、原作からは読みとりきれなかったところが映像として立ち上がっていることを目の当たりにし、心から「この映画を観てよかった」と思った。映像のなかで、登場人物たちが現在に生きていた。そうなると、変更された箇所にも納得出来た。

以下ネタバレしつつ、それについて書いていく。未見の方はご注意を。

映画化を知り、原作を手にとった。読了時点で「映画ではどう描かれるかな」と楽しみになったところが以下の4点。

1. 連絡を絶った龍太を浩輔が探し当てる迄の描写
2. 龍太の死後、浩輔をケアした友人夫妻の描写
3. 龍太の母、妙子の「女優が十八番としている舞台の長台詞」
4. 妙子が浩輔からのお金をどう扱うか

これらが映画化にあたってどうなっていたか。

1. 原作の龍太は去る理由を明かさない。浩輔の主観でものごとが進む原作とは違い、第三者の視点がある映像では風俗に行き当たる迄の「推理」を観客に伝えづらい。映画の龍太は「売り」をやっていると自分から告白したため、「推理」の時間で展開を停滞させることがない。浩輔が風俗サイトを虱潰しに探し龍太を見つける時間経過は、目に見えて上がっていく浩輔の疲労度によって表現されていた。巧い構成だと思った

2. カットされていた。浩輔のダメージを物語る印象的なエピソードだったが、そこは通夜に出た浩輔の狼狽、憔悴ぶりで担保された。担保っていい方も何だが。今作は「クィア映画」として撮られているので、シスヘテの夫妻を出すことでストーリーが拡がりすぎるのを防いだのかもしれない。あーでも、浩輔を“保護”するあの夫妻が実体化したところ、ちょっと観たかったな

3. これは素晴らしかった。エチュードの成果か「台詞」と感じさせない。妙子を演じるのが、演技経験が決して多いとはいえない阿川佐和子さんなのでちょっと不安だったが、鈴木亮平さんの相槌と受け答えの効果もあり、見事会話に組み込まれた形での「女優が十八番としている舞台の長台詞」になっていた

えっ、と思ったのは4.。原作では妙子は浩輔からのお金をしばらくは受けとっていたが、やがて援助を断る。その後、実は妙子は生活保護を申請しており、無事受給が決まったことが明かされる。この「自立する」という妙子の強さ、そして社会には受け皿があるということを伝えてくれる箇所がカットされていたのだ。福祉を頼ることに後ろめたさを感じなくていいというメッセージが含まれるこの箇所はなくさないでほしかった。龍太が妙子を連れて行ったフルーツ狩りのバスツアーのエピソードや、妙子と友人たちとの交流もカットされていた。映画の龍太と妙子は社会から切り離されているように見えた。

しかしこれらは2. とも繋がっているようにも思う。約2時間という映画で物語が散漫にならないようにするための変更なのだろう。龍太と妙子のだいじな思い出に関わるフルーツは、浩輔の母の仏壇に供えられているさくらんぼや、浩輔が手にとる梨に姿を変えて映画に存在している。ここにつくり手の愛を見る。


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02月23日(木)
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