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by kai
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■さいたまゴールド・シアター最終公演『水の駅』
さいたまゴールド・シアター最終公演『水の駅』@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

しかと見届けました、といいたくないくらい素晴らしい最終公演。役者たちの雄弁な肉体、普遍と更新を併せ持つホン、現在を空間に落とし込む演出。ゴールドシアターの皆さん、杉原さん、大ホームラン! 有難うございました!#さいたまゴールドシアター #杉原邦生 #水の駅 pic.twitter.com/B1Grs1p2bh― kai (@flower_lens) December 25, 2021
最後にこんなの見せられちゃ、次を、新作を期待せずにはいられないよ。悔しいけれど、これでおしまい。やはり杉原邦生はすごい、と思わされた公演でもありました。しょっちゅういってるがあの鳥の目……舞台、演劇において視点を選ぶのは観客と承知した上で、その選ばれる視点全てに応える目。

旗揚げから15年。創設時66.7歳だった集団の平均年齢は、今81.7歳だ。最後の公演に選ばれた作品は、太田省吾の沈黙劇。客演にはゴールドのメンバーと同世代の小田豊と、若い世代から井上向日葵。

照明・美術バトンが降ろされた状態の裸舞台には、装置用のトランクや台車が点在している。前方中央に水道の蛇口。細く水が流れ続けている。舞台下手側にちいさな花道。観客が劇場に足を踏み入れた時点から、作品は始まっている。蜷川さんの手法でもあり、杉原さんの手法でもある。水の滴る音を聴き乍ら開演を待つ。真っ白なワンピースを着たひとりの女性が舞台に駆け込んでくる。バスケットからプラスティックの赤いコップを取り出す。それに水を受け、ゆっくりと飲む。徐々に客電が落ちていく。いつの間にかそこは、水の駅だ。

壊れた蛇口から流れ続ける水に、行き交う人々が触れていく。男性同士、女性同士、男女のふたりづれ。ひとりで、ふたりで、集団で。飲む、浸かる。足を洗う。水辺でひとを愛し、ひとを憎み、ひとを葬り、そして去る。生命の源でもある水を得て、彼らは花道から去っていく。鴻上尚史の『ピルグリム』を思い出す。水辺はひとが行き交い情報を交換するオアシスだ。目的地ではない。いつかはそこを去らねばならない。それは人生と同じこと。

開幕してすぐに気付く。老人だから動作がゆっくりなのではない。実際、幕開けに登場した「少女」役の石川さんはとても軽やかに機敏に動く。「2mを2分で歩く」稽古を経て、彼らはゆっくり動くことが“出来る”のだ。そうでなければあのポーズはとれない。筋力がなければスローモーション、ストップモーションはもたない。動作と動作の間、演者たちの肉体は引力に、時間にしっかり向き合っている。彼らは一言も発することなく、人生を見せてくれる。表情、伸びる腕、高く上げる脚。

とはいうものの、「水、冷たくないかな?」「一気に飲んでむせてしまったら、誤嚥性肺炎の危険が……」「お湯かな? いや、湯気が出てしまうし」なんてハラハラした。終演後の帰り道で同じようなことを話している声を複数聴いたので、そう感じたひとは多かったかも。長年の信頼関係とケアがあるのだろうとも思う。15年一緒に作品をつくり、海外ツアーも経験している。演者とスタッフ、どちらもプロとして作品に向き合っている。

絶妙なタイミングと音量で、さまざまなアレンジが施されたエリック・サティ「ジムノペディ」が流れる。Taichi Kaneko(TAICHI MASTER)によるトラック――激しいビートとノイズ、煌びやかな音色、静謐なピアノ。長い人生で直面するさまざまな出来事と呼応するよう。バトンから降ろされた「GOLD」モニュメントの、圧倒的なインパクトと美に高揚する。ゴミの山に命が消費するモノについて思いを馳せる。戦争か自然災害か、光と音により破壊される日常。動かなくなる若者。彼女は老人たちに包まれて見送られる。生きてきた長い時間のなかで、消えていく命を見つめる。


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12月25日(土)
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