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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『近松心中物語』
『近松心中物語』@KAAT 神奈川芸術劇場 ホール
現代の外灯があの時代への出入り口。シェイクスピアの色も見せ、二組の男女の死の道行はトボトボと。松田龍平当たり役、といいたくもなるが彼は忠兵衛をやってもそういわれただろうし田中哲司の与兵衛を観てみたくもなる。石倉三郎、朝海ひかるが要所を締める。いやーよかった #近松心中物語 #KAAT pic.twitter.com/ULq6UyIPH8― kai (@flower_lens) September 11, 2021
外灯というより街灯だな。あの灯台のようにも、人生を捨てる場所のようにも見える質感。りんの音に誘われ、観客は元禄の大阪へと足を踏み入れる。そして幕切れ、置き去りにされる。気づけば与兵衛はもういない。車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』の最後の一文を思い出す。「見えなくなった。」、あのときは女が消えたのだった。我に返ると残されているのは現代の街灯。帰ってきた。電信柱は現代の柳、その下には幽霊がいる、のか?
出演者が発表されたとき「与兵衛どっち?」と思ったくらい与兵衛には思い入れがある(勝村政信、大石継太、池田成志で観ている)んですが、まあ主役は忠兵衛なのでね。長塚圭史演出・田中哲司主演というタッグには「いい作品が観られる」という安心感というか信頼感があります。しかし忠兵衛と与兵衛、どちらも演じられそうな役者がふたり揃っているというのは珍しいかもしれない。梅川とお亀でいえば、両方を演じた役者は今のところ寺島しのぶだけです。
蜷川幸雄演出以外の『近松心中物語』を観るのは二度目。いのうえひでのり版は素敵でしたが思うところあり、これを最後にいのうえ演出作品観てないかも。
しかしこの長塚圭史版は好きだった。シンプルなつくりが新鮮です。少人数(19人でも少ないと感じてしまうのは蜷川演出の病ですわ……)のキャストが八百屋舞台をいきいきと動きまわる。結構な勾配で、静かなシーンで役者が屈んだりすると膝の関節がパキパキいうのが聴こえて味わい深かったです。機動力を使える装置・小道具で、転換は軽快。そんななか、傘屋の重厚感溢れる美術が印象的。与兵衛を繋ぎとめる重石、錨のようにも映る。海が目と鼻の先のKAATに、水都大阪の風景を見る。
キャストは贅沢。綾田俊樹や松田洋治がちょっと勿体なくないか? と思ってしまう出番。とはいえ効果的。辻本耕志、章平、清水葉月といったイキのいい役者たちをもっと観たかった……とは思うものの、お話が四人を中心にまわるものなのでなあ。てか章平くん、ズバ抜けて長身なのでモブシーンですごく目立っていた(微笑)。哲司さんの忠兵衛、激情に圧倒される。実直な人物が「カネ」に取り憑かれた瞬間が見えるような演技が白眉。龍平くんの与兵衛は体温の低そうな根無し草。笹本玲奈の梅川、声の魅力。石橋静河のお亀、青春の光と陰を魅せる若者の象徴。
興味深かったのは、与兵衛とお亀が押し問答する場面が、『ロミオとジュリエット』のバルコニーのシーンのようなあつらえだったこと。図式としては、ひとめ惚れといい死への速度といい、忠兵衛と梅川の方が『ロミオとジュリエット』に近いのだが、一途に与兵衛を愛し、命懸けの恋を夢見るお亀にとって彼らは憧れの対象ともいえる。そして周囲の人間はというと、お亀の周りに『ロミオとジュリエット』の登場人物を投影出来る“家族”がいることも興味深い。お亀の育ての親であるお今は乳母の役割ともいえる。
庶民にとって忠兵衛と梅川の悲恋は憧れ。しかし実際には、立場や人間関係といったしがらみから逃れられない。ましてやこの時代、そこから逸脱することは自分だけでなく周囲のひとびとの命をも危険に晒す。現実に心が寄るのは与兵衛とお亀の方かもしれない。だからこそ、お今や八右衛門の人間くささが身に沁みた。このふたりが決して“悪人”ではなく、道理を知っている人間として描かれていることが救いだった。石倉さんと朝海さん、素晴らしかったです。
幼い恋が芽生えそうな丁稚と禿の描写も印象的。彼らの将来を思うと切なくなってしまった。
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09月11日(土)
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