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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■横浜の『M』
東京バレエ団『M』@神奈川県民ホール 大ホール

東京バレエ団『M』千秋楽。11月に桜は散り、外に出れば銀杏並木。その向こうからは潮騒、呂の声の汽笛、空には豊穣の海がある筈もない月。横浜で観られてよかった。次回が十年後だったら観られるか自信ないので思い切って行きました pic.twitter.com/BcS5KTGgJB― kai (@flower_lens) November 21, 2020
海上の月とはならず、海側から振り返ると神奈川県民ホール上の月、だった。そして目と鼻の先にある横浜山手は『午後の曳航』の舞台だという。これは未読だった、チェックしてみよう。

東京公演から一ヶ月、三島由紀夫とモーリス・ベジャール、そしてフレディ・マーキュリー、ジョルジュ・ドンが亡くなった11月。NBSのツイートで知ったが、アンドレ・マルローが亡くなったのも11月だそうだ。前回(2010年)の上演は12月だったが、初演メンバーが揃ったイチ、ニ、サン、シのなか、この日を最後に現役を引退した小林十市の本名は「十一」。このときも「11月」に上演されることの意味を考えていた。ようやく「その月」の上演を観ることが出来た。
(20201221追記:十市さん、2013年にも『中国の不思議な役人』で一度復活したんでした。はー忘れてるもんだわーというか時間が前後してるわー。書いとくと役立ちますね……書いてるから安心して忘れるのかもしれんが。あかん)

前回からそう間をおかず、全く違う位置から観られたことで気づいたことも多い。先月は最前列の上手端、この日は26列目の下手寄りセンター。演者の躍動を間近に感じられた(肌と、そのなかにある臓器の動きすら目の当たりにした!)最前列の臨場感は何ものにも代え難い体験だったが、やはりこの舞台は全景に醍醐味があるようにも思う。ペールグリーンの衣裳を着たダンサーたちが波のように寄せては返す。競うようにソロを踊るイチ、ニ、サン、シ。舞台を覆う幕越しに見る聖セバスチャンのシルエット。人間ムカデ、楯の会の隊列。桜が降り散る瞬間のカタルシス。三島作品の分身たちが集う「待ちましょう」、彼らを縫う血のような赤い帯……。溢れる色彩、緻密な構図。シーンのひとつひとつが絵画のよう。

そして改めて観ると、聖セバスチャンが与え、シが奪うという規則性に気づく。東京公演では見間違いをしていた。「禁色」のパートで薔薇を手にしていたのは聖セバスチャンで、少年は彼に手を引かれて歩く。男と女、男と男、女と女のペアを縫うように、眺めるように。その後聖セバスチャンが少年に手渡した薔薇は、シが持ち去ってしまう。そして終盤、苦悶の聖セバスチャンは少年に手を差し伸べるが、少年は彼を振り返ることなくシに手を引かれ離れていく。聖セバスチャンは生命の光と美しさを少年に見せていくが、シはその向こうにある世界──死──の、抗いようのない魅力へと少年をいざなう。

全てのカップルを祝福していた聖セバスチャンと少年は、どちらも死へ引き寄せられていくのだ。

東京公演時の「シがシであり乍ら少年の死を悲しんでいるようにも見えた」という指摘には私も頷いたが、この日のシはそれから一歩進んだ解釈を提示してくれた。シが少年を慈しむ様子はより強く感じられた。扇を開く少年、その背中をそっと押し、倒すシ。少年が死の世界へと足を踏み込んだ瞬間、弾けるように歓喜を全身で表現するシは、同時に少年を悼んでもいる。どんな者も必ず死を迎える。こちら側に来る。それをちょっとつまらなくも感じている……それが「惜しい。少しでも長く生きていればよかったのに」という悼みになる。池本祥真は、そんなシを見せてくれた。これは当たり役ではないだろうか。また彼が踊るシを観たい。出来るだけ早く。そう思った。

「待ちましょう」の、血の帯の円環には楯の会隊員のペアもいる。折しもこれを書いている今日は11月25日、三島の命日だ。観る度に新しい発見がある。それは常に現在を生きているダンサーたちと観客がいるからだ。この作品が上演され続けることを願う。三島も、ベジャールも、その度に思い出され、悼まれ、甦る。


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11月21日(土)
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