ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
[647848hit]

■東京バレエ団『M』
東京バレエ団『M』@東京文化会館 大ホール

十年ぶりの東京バレエ団『M』、初日。永遠の儚さを描く。ベジャールの振付だけでなく演出力に改めて感嘆、新キャストも素晴らしい pic.twitter.com/0FsXSXHrv0― kai (@flower_lens) October 24, 2020

初めて観たのは2010年、十年前。再びの逢瀬を切望していました。次回があるとしたら何か節目の年だろうと思っていたので、三島由紀夫没後五十年にあわせ上演が発表されたときは本当にうれしかった。中止にも延期にもならなかったのは幸運でした。チケットが発売されたのは6月。席数を減らすというアナウンスはなかったので、全席売りに出していたと思います。秋には状況が変わっていると、制作は賭けたのかもしれません。払い戻しになるかも、席を減らして再発売になるかも、と気を揉んでいましたが、無事そのままの席で当日を迎えられました。よかった。楽日も、神奈川公演も無事終えられますように。

しかもその席、端っことはいえ最前だったのです。間にオーケストラピットがあるとはいえめちゃくちゃ近い。台詞や歌、踏み切り、着地の音もハッキリ聴ける。ダンサーの表情も、飛び散る汗も、息遣いも、その息とともに上下する肌の動きも微細に見える。身体が少しずつ擦り減っていくのが見て取れるよう。ひとは生まれた瞬間から死に向かっている、この瞬間にも死が近づいている。それがひしと感じられる貴重な体験でした。

キャストも一新され、前回と同じ役を踊ったプリンシパルは上野水香のみ。ダンサーたちのポテンシャルに圧倒される。キレッキレです。一度舞台に登場したらほんと休む間がないハードな踊り。特に印象に残ったのは、IV(死)=池本祥真。思えば数字で名付けられた四人の衣裳はI=黒からIV=白とグラデーションになっている。死が真っ白、というのはなかなか象徴的で、池本さんはその衣裳と、白塗りにした顔がとてもよく似合っていた。死は三島に大きな影響を与えた祖母の役も演じ、少年三島をマジックによって消すことも出来る。そんな彼が、少年の死に際して慈愛に満ちた仕草と表情をする……これは新しい解釈にも感じました。

そして聖セバスチャン=樋口祐輝。輝きに満ちた魂の誕生から、迫害を受け朽ちていくその様子。圧巻でした。少年=大野麻州、ピアニスト=菊池洋子の存在感も大きいものでした。

初見時は情報量の多さに圧倒されるばかりでしたが、今回はもう少しおちついて観ることが出来、新たに気付いたことも多々ありました。「午後の曳航」の船乗りは美輪(丸山)明宏(彼も「M」だ)の投影か、とか。メイクの効果もあると思いますが、演じたブラウリオ・アルバレスの顔立ちが美輪さんにそっくりだったのです。それで気付いた(笑・遅い)。ムカデのようにつらなるアンサンブルのダンスは、改めて見ると相撲の四股やすり足がモチーフになっているのかなと感じました。あと終盤ダンベルが出てくるところ、前回はあまりにも具体的でギョッとしたに留まったのですが、今回は「ああ、いよいよ身体を鍛え始めた。三島の死が近い」と胸が締め付けられるような思いになりました。冒頭と幕切れに響く能楽の「呂の声」が、海をわたる船の汽笛にも聴こえたのには鳥肌。海からここ迄演出のイメージを拡げるベジャールの感性に感服。

そして十年前には気付かなかったといえばこれが大きかった、「禁色」のパート。男性同士、女性同士、そして男女のカップルの間を縫うように少年が駆けまわる。少年の手には一輪の薔薇。歩く、手を繋いだ聖セバスチャンと少年。全てのカップルに祝福の花が贈られたよう。こんな解釈も可能だったのだ。反面「楯の会」のパートでは、先日行われた中曽根康弘氏合同葬での自衛隊員による「と列」を思い出しハッとする。三島もベジャールも、これは予想していなかっただろう。今のこの状況、ふたりが生きていたらどう思うかな?
(20201124追記:神奈川公演で見直したところ、このとき薔薇を手にしていたのは少年ではなく聖セバスチャン。寝そべるセバスチャンに駆け寄った少年が薔薇を手渡し、ふたりは手を繋いで登場人物たちの間を縫うように歩く。そして聖セバスチャンが少年に薔薇を返す、という構図でした。失礼しました)


[5]続きを読む

10月24日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る