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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『デソレーション・センター』
『デソレーション・センター』@シネマート新宿
『UNDERDOCS』最終日〜やーもうライヴハウス、クラブ、フェスに行きたくなるねえ シネマートさんの場づくり素敵 pic.twitter.com/EY94m5r0ka― kai (@flower_lens) October 8, 2020
アンダーグラウンドシーンのドキュメンタリーフェス『UNDERDOCS』。観たいの沢山あったんだけどなんやかんやで最終日のみの参加になってしまった……これだけは外せんとねじ込みました。シアターNなき今、ここらへんの作品を一手に引き受けてる感のシネマートさん有難い。
で『デソレーション・センター』観たんですが面白かった〜コーチェラやバーニングマン、てかロラパルーザの原型ですね。砂漠で3回、海上で1回開催されたDIYフェス。出演者ですら会場への道に迷う(笑)アンダーグラウンドフェス。ミニットメンの存在は大きかったのだなあとしみじみ pic.twitter.com/AoOS73OEP8― kai (@flower_lens) October 8, 2020
警察の差別的な取り締まりが厳しく、活動の場が狭められていた80年代半ばのLAハードコアシーン。スチュワート・スウィージーは、警察の目が届かない場所でイヴェント“デソレーション・センター”(以下DC)を開催することを思いつく。詳細など書かれていないちいさな広告に賛同し、約160人がチケット代を振り込んでくる。行き先を明かされぬまま活版印刷のチケットを手にし、遠足よろしくスクールバスに分乗した彼らが着いたのは、カリフォルニアのだだっぴろい砂漠。
道中SAで「奇天烈な連中がやってきた!」と締め出しを喰らったり(ゴリゴリのパンクファッションの子らが片田舎に集団でやってきたら驚かれますわな)、機材が故障したり。さまざまなハプニングは見舞われつつも、“伝説”に立ち会った人々は楽しげに、そして誇らしげに当時を振り返る。アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのライヴは圧倒的。映像でこれなんだもの、現地にいたひとたちはさぞや……参加者が証言するように、宗教的なカタルシスに満ちた儀式のようでした。この体験を手紙に書き、疎遠だった母親と和解したってひとがいたというのが象徴的です。
で、そのノイバウテンのブリクサ・バーゲルトがマーク・ポーリン(Survival Research Laboratories=SRL)のパフォーマンスを観て「欧州は火薬とかの制約厳しいんだ。アメリカはいいねえ」といってたけど、いや、あれはアメリカの規制も破ってたと思うぞ……(笑)。そもそも火薬どころか場所使用の届出もしてないし。土地が広大なアメリカならではという感じもします。ほんっとに周囲に何もなかったもの、騒音がーとか通報もされなかったのでしょう。爆破、粉砕、廃材使用のメタルパーカッション。手加減せずに音が鳴らせる! 演奏者は生傷だらけ! 大きな事故がなくて本当によかったですね(微笑)。
しかしやっぱりどこからか情報は漏れる。来場者が捨てていった大量の酒瓶が証拠になった、というのもあーいかにも、という感じですね。証言にもあるようにドラッグ問題もあった。最終的にはスチュワートに罰金の知らせが届き、ミニットメンのフロントマン、D・ブーンの事故死が追い打ちをかける。それきりDCが開催されることはありませんでした。場がないなら自分でつくる、理不尽な弾圧には抵抗する。商業的になる前に身をひく。パンクスピリットに根差したDCは、そうして伝説になったのでした。
それにしてもライヴシーンはどれも現実ばなれしてて格好よかった。2ndつくった直後のソニックユースが圧巻(キムのコメントも聴きたかった!)。ミートパペッツとレッドクロスは、音源に接してはいたものの映像で観るのは初めて。これがまあ最高だった。わーライヴだとこんなに凄まじいのかよ! ミニットメンが地元サンペドロで行った港湾ライヴは美しい夜景、幻想的でもあった。実情は船酔いしたひとも多かったようですが(笑)。
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10月08日(木)
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