ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
[647878hit]
■『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』
『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』@TOHOシネマズ新宿 スクリーン4
映画館が開いててうれしいなあ、再開一本目はこれ。熱、敬意、言葉を信じ駆使する者たちの殴り合い pic.twitter.com/0te5VbzBFj― kai (@flower_lens) June 6, 2020
二十歳以上は年下の、血気盛んな若者たちの言葉を真剣に聞く。真摯に答える。揚げ足をとらず、揶揄もせず、対立する相手への共感は躊躇せず示す。何より言葉の力を信じている。
1969年5月13日、東大全共闘が三島由紀夫を討論会に招く。TBSの映像アーカイヴから発掘されたその模様を中心に、当事者、識者たちが当時を振り返るドキュメンタリー。監督は豊島圭介。
護衛を断り、三島は単身東大駒場キャンパスに乗り込む。自分のことを「近代ゴリラ」と書いてある(なかなかブラックな似顔絵つき)ビラを見て笑う。900番教室へ入場し、ギャラリーを見わたし余裕の笑み。早速10分に渡る持論をぶち、あっという間に場を自分のペースに巻き込んでいく。討論会の企画者で、当日の司会を務めた木村修は思わず三島のことを「先生」と呼んでしまう。それは「三島を血祭りにあげてやる」と息巻いていた学生たちや、不測の事態に備えて潜入していた楯の会メンバー、取材と撮影のため最前線にいた記者とカメラマンも同様だ。その場にいた誰もが三島由紀夫という人物の魅力にあてられてしまう。
登壇者は皆言葉の力を信じており、相手を言い負かすことが狙いではない。言葉による相互理解、言葉による認め合いを求めている。しかし矛盾するようだが、言葉は文字だけでは伝わらない。この討論会の模様は出版されており、事前にざっと目を通していたのだが、まるで印象が違った。激論を交わす者たちの表情、声のトーン、仕草、それに聴き入るギャラリーの空気。後述リンクの予告編映像でもわかるが、三島の瞳は明るい茶色で、光の反射がクリアに映る。瀬戸内寂聴(まるで少女のようにキャッキャと語っていた)いうところの「天才」の目、その「画力」! 三島のひとたらしぶりは映像あってこそ。あの場にいた誰もが「やられた」と思っているのではないか……その具象、肉体の輝き。
自分が生まれたとき既に故人だった、三島由紀夫という人物。不朽の名作群は今も読むことが出来るが、その実体は当時どういう扱われ方をしていたのか、いまいちピンときていなかった。文武両道、体を鍛え俳優としても活躍、ヌード写真集を出版。まあそれはわかる。まあ、いる。しかし民兵組織を率い市ヶ谷駐屯地を襲撃、腹切って自決、介錯って…現場の写真が新聞に載るって……ここ迄くるとえええ何それ!? ってなもんじゃないですか。あ〜三島先生やばいね〜って笑ってたら、ホントにやっちゃった! ってな感じだったのかなあ、メディアも引き気味で眺めている感じだったのかなあなんて思っていた。
思えばそういう「死」の現場が隠されるようになったのっていつ頃からだろう。今はそういう場はwebに移り、視聴者は見ることも見ないことも選択しやすくなったといえばそうなのかな。豊田商事会長殺害とかチャウシェスク大統領夫妻処刑のニュースをしっかり憶えている世代ですが、普通に地上波で映像流れてたもんなあ。
閑話休題。今作を観て、平凡パンチの『オール日本ミスター・ダンディ』投票第1位(三船敏郎や石原慎太郎・裕次郎をおさえて!)を獲得する等アイドル的な人気もあるスーパースターだった、というのがわかったのは新鮮だった。作家としての名声や楯の会の活動については今でも豊富な資料があるが、その時代にどういう空気で迎えられていたか、というのは現代ではなかなか実感がわかないものだ。歴史上の人物がちょっとだけ身近になってきたというか、肉体化されてきた感じだった。平野啓一郎、内田樹、小熊英二という現代からのガイドも頼りになった。
[5]続きを読む
06月06日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る