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by kai
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■彩の国シェイクスピア・シリーズ第35弾『ヘンリー八世』
彩の国シェイクスピア・シリーズ第35弾『ヘンリー八世』@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

『ヘンリー八世』いよいよ近代と実感する衣装に装置、小道具からの終盤「姫の名は?」に続く台詞。遂にこの名跡が、というカタルシス! とはいえホンはかなり理不尽で(まあ歴史自体が理不尽なんだが)蜷川さんが後回しにしてたのもなんかわかる……。現代的なエンタメとして見せた鋼太郎さんお見事 pic.twitter.com/9VEw7LnY6w― kai (@flower_lens) February 22, 2020
そうなんです、まず目をひいたのは衣裳(西原梨恵)。ジャケットや礼服が今っぽい。これ迄「時代劇」という意識で観ていたシェイクスピア作品が、グッと身近に感じられた瞬間でした。最初に登場するノーフォーク公爵を演じていた河内大和さんが非常にプロポーションも姿勢も美しい方なので、尚更衣裳がひきたっていましたね。

描かれている世情や政治が、とても現代に近い。枢機卿が税金で私腹を肥やし、王は離婚裁判で揉める。疫病がはやり、政府の対応が遅れているなんて台詞も飛び出したので慄きを通り越してちょっと笑ってしまうくらいだったのですが、シェイクスピアシリーズがようやくこの時代迄きたか、という感慨も覚えました。

時代に寄り添った演出も的確。一幕終盤が白眉。キャサリン(オブ・アラゴン)妃と枢機卿たちのくだりは、セクハラパワハラに立ち向かう女性(が敗れるの)を歯ぎしりする思いで観ました。毅然とした立ち居振る舞いの宮本裕子さんが素晴らしく、観客の誰もが彼女の味方になりたいと思ったのではないでしょうか。男性のふるまいにドン引きする女性たち、という酒宴の描写も、観る側の意識の変化をうまいこと掬い上げているなあと思いました。観客には小旗が配布されており、王の婚礼パレードでその小旗を皆で振る、という参加型演出もあったのですが、その図式にもいろいろ思うところがありました。個人的にはこの手の観客を巻き込む演出が苦手で、入場時小旗を渡されたとき鼻白んだのですが、先導役の役者さんが必要以上に力まない指導で無理なく進んだということと、実際多くの小旗に迎えられ入場した婚礼パレードはヴィジュアル的にも昂揚を呼ぶものになっており、つられてこちらもニコニコして旗を振ってしまいました。うーむ、大衆心理って怖い(笑)。こういうひとなつっこさも吉田鋼太郎演出の特徴かもなあ。憎めないわ……。大団円の影で葬られた三人を成仏(?)させるような幕切れもせつなくてよかったです。

それにしてもこの、ヘンリー八世の人物像。晩餐会で女官に一目惚れ、裁判ではつらい〜今の自分の信仰では離婚出来ない〜と、おまえは何をいってるんだ…傲慢を通り越してバカなのかな……とすら思ってしまった(ヒドい)のですが、そうした事実を描き乍らも「王はこんなに悩んでたんですよ、世継ぎのプレッシャーも強くて困ってたし、キャサリン妃のことも心配してたんですよ。王は悪くないんですよ!」ってなふうに描かれているのです。なんなんだこの、腫れ物に触るような感じ……とモヤモヤしていたのですが、『ヘンリー八世』講座に出ていたジェンヌにヘンリー八世は人気のあったエリザベスの父なので悪く書けないらしく。プロパガンダ的側面もあったのではという説もあると教えられ視界が晴れました。成程ねー! それがわかればすっごい納得するわ、なんかすっごい口を出されたり手を入れられた感じするもんね……シェイクスピアですらそうなのか。劇作家もたいへんですね……。

劇中ウルジーがキャサリン妃とヘンリーにビンタされる演出があるんですが、ヘンリーにビンタしたいと思ったひとは多いのでは(笑)。演じていたのが阿部寛さんじゃなかったら相当不快なキャラクターになっていたかもしれません。阿部さんの姿(体型)、コントギリギリ迄皮肉を効かせた場面でも保たれる威厳。悩み多き王を阿部さんで観られてよかった。内心ツッコみつつも愛すべき人物像にしなきゃならないからたいへんだっただろうなあ(やりがいはあるかも?)。


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02月22日(土)
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