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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『오이디푸스(オイディプス)』
『오이디푸스(オイディプス)』@芸術の殿堂 CJトウォル劇場
『オイディプス』観た〜 結構大胆な翻案になってるのでこれから観るひとは戯曲を詠みこむよりストーリー内容と登場人物の背景をしっかり把握しておくといいかも。面白かった! #오이디푸스 pic.twitter.com/Toq2o6TswQ― kai (@flower_lens) February 2, 2019
韓国観劇二泊三日の旅、まずはファン・ジョンミン主演のこちら。トウォル劇場のキャパは700強、三階席迄あります。役者たちはマイクを装着していました。場内は東京文化会館や昔の芸劇中劇場を思い出す雰囲気。客層はバラエティ豊かで、家族づれも。ジョンミンさんの「国民的スター」っぷりを実感する。今回初めて韓国のストレートプレイを観たのですが、ミュージカル同様ロビーにキャストパネルや撮影スポットがあるのには驚いた。グッズはプログラムとトートバッグだったかな。このトートバッグ、象形文字っぽい王冠と目のイラスト入りでひいん(泣)となる。
さて本編ですが、ネタバレしてますので未見の方はご注意を。制作はジョンミンさんの個人事務所SEM COMPANY、プロデューサーはジョンミンさんのパートナーでもあるキム・ミヘ、上演台本はハン・アリム、演出はソ・ジェヒョン。
後述のニュース記事に「ソポクレス原作の作品で、ソ・ジェヒョン演出と新しい創作陣で構成し、さまざまな変化を試みる予定」とあったが、成程こんな『オイディプス王』は初めてだ、と驚かされたことがいくつか。コロスの群唱は極力減らされ、通常は「歌」で描写される場面を役者たちが実際に演じてみせる。よって使者により伝えられる、イオカステの死の場面も視覚化されている。オイディプスとふたりの娘(アンティゴネー、イスメーネー)との別れの場面がない。娘たちはコロスの姿を借りてイオカステとの別れに登場し、母の死には嘆き悲しむ。コロス長はコロス──民衆ではなくオイディプスの背後に寄り添い、彼を操るように彼と同じ台詞を語る。まるでコロス長こそが、オイディプスの変えられない運命のように。
特に衝撃を受けたのは、イオカステの亡骸を抱きしめたオイディプスが「オモニ、オンマ、オンマ」続いて「アボジ」と泣きくれたことだ。聴き間違えてはいないと思うが、オイディプスは「オモニ」のあとに「オンマ」といった。どちらも「お母さん」の意味だが、「オンマ」はどちらかというとこどもの使う言葉で「ママ」や「おかあちゃん」といったニュアンスだ。オイディプスは初めて誰かのこどもになったのだ、初めて親のもとへと戻ったのだ。娘たちとの別れもなくテーバイを離れる彼は、初めてこどもの時代を取り返した。こんな親から生まれた娘たちは結婚も出来ず、子を宿すこともないだろうとオイディプスが嘆く場面がないことも、父との別れに悲しむ娘たちの姿がないことも象徴的。ハン・アリムの翻案は血縁が絶えることを恐れず、娘たちの未来には父親が嘆く以外の道があるという可能性を残した現代的なものに感じました。この作品においてはかなり新鮮。2500年前に書かれた物語が現代に上演されることの意味を考えました。
演者たちは抑制されたダンスのように動く。コロスの隊列は集団行動のように美しく移動したかと思えば、災厄に苦しみのたうつテーバイの市民に、禍々しい声色を発し三叉路の殺人を見守るカラスになる。重心を低く、這うように歩く予言者テイレシアスはさながら暗黒舞踏家。終始舞台のトーンは暗く、回る盆はどうあがいても悲劇に向かうしかない主人公の行く末を表しているかのよう。舞台が最も明るくなるのは、皮肉にも光を失ったオイディプスがテーバイを去るとき。真っ白な装束に着替えたオイディプスは舞台を降り、民衆──客席へ紛れて退場する。運命にとことん抗い、向き合ったあとの穏やかで、美しい表情。
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02月02日(土)
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