ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■KAAT×サンプル『グッド・デス・バイブレーション考』
KAAT×サンプル『グッド・デス・バイブレーション考』@KAAT 神奈川芸術劇場 中スタジオ
サンプル『グッド・デス・バイブレーション考』初日。松井周が描く楢山節考、さいたまゴールドシアターに書き下ろした『聖地』が好きだったひとにはグッとくるんじゃないかな。ディストピアではなく遠くない現実に、むしろ安堵も感じる pic.twitter.com/1yMDjRG2ao― kai (@flower_lens) May 5, 2018
『ブリッジ』を最後に一度解体、しばしの休息をとり、松井周のひとりユニットとして再始動したサンプル。その一作目は戸川純を迎えた姥捨山伝説。しかし、「元ポップスター」を演じる戸川さんは男性を演じるという。どういうことだ? 観ていくうち、納得するほかなかった。彼女は年齢も、性別も、そして生殖能力の有無も超越していく役だった。しまいには人間という生物学的な種類すら曖昧になり、肉体を必要としなくなる。
種を生き残らせるための策を練る人間たちは、生殖能力を労働力とし資本に替える。マッチングはお見合い、子宝(劇中では「ひよっこ」と呼ばれる)は通貨になり、品質により選別される。ルーツが判らない「野良」ものは、社会貢献のためにさまざまな仕事に就く。このあたりはカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を想起させたが、今作で重点的に描かれるのは、「ひよっこ」を手放した側のひとたちだ。生きているとなにしろ腹が減る。「ひよっこ」を売るにしろ捨てるにしろ、それは食べるためだ。一方、年齢を重ね肉体が傷んできた人間は、口減らしの意味も含め「船出」を促される。こうして整理していくと、ごくごく自然ななりゆきだ。愛憎、嫌悪すらも平熱になる社会の仕組みや、そりゃ尤もだという優性思想の指摘。劣性とされる人物もそれを望む。
理想的な社会だ。ただし、その理想を目指す過程で打ち捨てられるものがあり、差別されるものが生まれる仕組みへの策がない。死への肯定観があり、肉親を捨てることは自然の摂理だという説得力がある。松井さんの描く世界は神話化する。肉体を失ったものたち、いや、肉体を捨てたものたちの行方を追う。彼らはラジコンのヘリコプター(『聖地』)に、こども用玩具の車でつくったタクシー(『ゲヘナにて』)に、改造したトラック(『永い遠足』)に……そして手製の方舟に乗って何処へでも行くことが出来る。残された者たちは、死への時間を待ち乍ら、家族という名のコミュニティを形成する。不思議と清々しささえ感じる幕切れだ。劇場を出る足どりは軽く、死と同じくらい生にも肯定的になる。禁忌とされている歌を唄うシーンもチャームに満ちていて、それが悲惨な経緯であってもつい笑顔になってしまう。松井作品のこういうところに惹かれてしまう。
戸川さんは約12年ぶりの舞台出演とのことだったが、ライヴ活動はコンスタントに続けていることもあってか、声の通し方や振る舞いは流石の一言。彼女が演じる老爺は「船出」にノリノリだが、その日が近づくにつれ老婆のようになり、やがて幼女へと変態していく。驚くべきことに、二時間程の上演時間のなかで、戸川さんの姿が本当に「そう見える」。登場シーンでは本気であのじいさんが戸川さんだと気づかなかった。ショッキングですらあった。この12年の間に何度かライヴは観ているが、車椅子のままステージで唄うこともあった。劇中使われる歩行補助器は実際に必要なのだと思った程だ。ところが彼が家族とくらし、娘や孫と言葉を交わすうち、声のトーンや姿勢といったスキル的な面だけでなく、肌艶すらも男性から女性へ、そして童へと変化していく。補助器を使わず軽やかに歩く姿を見て、これは「役者だから」なのだろうか、と思う。やはり彼女は不世出の表現者なのだ。
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05月05日(土)
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