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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『アメリカン・ヴァルハラ』
『アメリカン・ヴァルハラ』@新宿シネマカリテ スクリーン2

『アメリカン・ヴァルハラ』ー!!! イギーとジョシュのメロウな面が出ててもうホロリだよ…はじめてのお見合いなもじもじレコーディングにもニヤニヤしたがツアー始まってからがもう! デヴィッド・ボウイファンも観るといい…あんな形で、なあ(泣) pic.twitter.com/1hEAbfOLiY― kai (@flower_lens) May 1, 2018

映画はジョシュ・ホーミのモノローグから始まる。時間は誰にも乗る(ride)ことが出来ない。一瞬でも時間をつかまえて、自分の思いどおりに操ることが出来ればと願うが、それは不可能なことだ。俺は助手席に乗っているだけ。助手席から、目の前を流れていく風景を見ているだけ。

写真家でもあるアンドレアス・ニューマンとジョシュの共同監督作品。自分のバンドを失った(といっていいだろう)イギー・ポップが、新作を制作するにあたってのパートナーにQueens of the Stone Ageのジョシュを指名することから全てが始まる。イギーの音楽を聴いて育ったジョシュはその大役に舞いあがり、同時に困惑する。返事を迷うジョシュへ、イギーは追い討ちをかける。ツアーに出ているジョシュのもとへ自作の資料を送りつけたのだ。同じ曲を演奏する日々、クリエイティヴィティに渇望しているツアー中にこの仕打ち(笑)。イギーの意気込みといおうか、創作への渇望が感じられるエピソードだ。

フェデックスの封筒に入った紙束をとりだして、ジョシュはふりかえる。「妻のブロディ(・ドール)に相談したんだ、どうしようって。ブロディは『こんな貴重なものを受けとっておいて断るなんて、失礼だ』といった。それで決心した」。背中を押してくれたブロディに感謝。ジョシュはバンドメイトであるディーン・フェルティタと、かつてプロデュースを務めたArctic Monkeysのマット・ヘルダースを召集する。アジトはランチョ・デ・ラ・ルナ・スタジオ。すわデザートセッションズか?! かくして『Post Pop Depression』プロジェクトはスタートする。

レコーディングは秘密裏に行われ、制作過程を記録に残すつもりもなかったため、レコーディング風景の多くは静止画像(写真)で構成されている。イギーの仕事ぶりや、彼との思い出を残しておきたいといった個人的な記録──ジョシュやディーンの日記(普段は日記なんて書かないのに、といっている)やマットが撮影した画像を観乍ら、観客はイギーの、ジョシュの話に耳を傾ける。イギーが繊細なひとであることよく知られているが(たとえば『コーヒー&シガレッツ』を観れば一目瞭然)、ジョシュのナイーヴっぷりも相当なもので、レコーディング序盤はお互いある種の怯えすら感じていそうな空気。しかし周囲に人気のない砂漠のスタジオで長い時間を過ごし、食事を共にし話す日々が続くうち、信頼関係が築かれていく。

アルバムクレジットに「Additional Assistance」と記されていた、パトリック“ハッチ”ハッチンソンの役割が明かされる。彼はランチョ・デ・ラ・ルナのハウスエンジニアだが、レコーディングに訪れるバンドマンたちに食事を用意するのだ。レコードはバンドだけによって作られるのではない。表に出てこないひとたちの貢献をさりげなくしらせる。音楽に対して真摯で、聡明なひとたちが的確な仕事をする。不安は消える。これは、という確信が生まれる。幸福な時間が流れ始める。

レコーディングはジョシュが、ツアーはイギーが消極的だったという話も興味深い。イギーは体力的な不安もあったのかもしれない。今度はジョシュがイギーをけしかける番だ。イギーがこのバンドでツアーに出たいと思わせるため、トロイたち迄呼び集めてセットリストを練り(ジョシュ側が選曲したから「China Girl」が入ったとか、いい話だよ……)、過去の名曲たち「The Passenger」や「Lust for Life」をみっちり練習する。微笑ましい。そうして迎えたリハ初日、イギーのもとへデヴィッド・ボウイの訃報が届く。ツアーはスタートし、幸福な時間は不思議な時間へと変わる。


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05月01日(火)
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