ID:43818
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by kai
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■『秘密の花園』
RooTS Vol.05『秘密の花園』@東京芸術劇場 シアターイースト
好きな要素しかなかった。唐十郎が書く熱を秘めた言葉、福原充則の膂力ある演出、肚を据えて身体を張る演者たち。この作品を舞台に載せる、この役を舞台で生きる、という情熱。こういう舞台が観たかった、だから自分は劇場へ足を運ぶのだ。
着席すると、ずいぶん高くに舞台と装置(美術:稲田美智子)が組んであることに気づく。やがて舞台上のカーブはトンネルを表し、左右に据えられた電柱と電球の位置からこの部屋がアパートの上階にあることがわかる。汽笛が響き暗転、あっという間に劇世界へ連れていかれる導入だ。唐戯曲ならではのテンポの速い、独特なリズム。暴れ馬のような台詞を柄本佑がクールに、しかし皮膚の下の熱を伝えるように声に乗せる。ピシャン! という音とともに開く引き戸、立ち現われる美しき立ち姿の女は寺島しのぶ。この時点ですっかりこの作品に魅了されてしまう。
そして思うのは、自分は唐十郎のフォロワー世代の舞台を観てきたのだということだ。状況劇場には間に合わなかった、唐組には間に合った。しかし紅テントを破るように野外から四畳半へなだれ込む群衆や、「唐!」という大向こうを体験したのは、南河内万歳一座=内藤裕敬の演出作品を観たあとだった。四畳半も、引き戸も、そして長屋に差し込む夕陽も、南河内で刷り込まれた。寺山修司の影を野田秀樹作品から、つかこうへいの姿をいのうえひでのり作品から感じとったときと同じだ。小劇場の歴史は、こうして受け継がれていくのだ。
福原さんの、照れをかなぐり捨てた作品への愛がほとばしる。ここ迄見せてしまった。心を開いて告白してしまった。もう戻れない。まるで作品中で語られる人魚との恋のようじゃないか。人魚と恋におちると語った男は、その後どうなったか。激しい雨、上階に迫る水位、畳敷きの部屋に流れ着いた小舟。泣きやまない赤子たち、温めていた哺乳瓶から火は上がり、粉ミルクの買いものから戻った男の目に映るのは炎に包まれた長屋。失われていく風景、行方不明のこども、停まった時間。火と水の記憶が目の前の現実となる。花園は坂の上にある。青い鳥を探しにいく、流しに現れる海から旅に出る。菖蒲の葉は生き別れのきょうだいや行方知れずのこどもを呼ぶ葉笛になり、聖剣にもなる。下町、流し、菖蒲は一時期の唐作品に頻出するモチーフだ。
田口トモロヲが、抑制された声で観客の想像力を喚起する。パンツを履いているより全裸の方が健全、とでもいいたげな、恥じらいを含んだ情景描写。柄本さんに「いい遺伝子持ってんだからさ」「あなたの倍生きてるんだ」などととばすアドリブも恥じらいの裏返しか。ふざけているのか、と感じさせるギリギリの線を維持し語られる託児所の火事の光景は、すっかり当時と現在を繋いでいる。笑いと慟哭、怒りとやりきれなさ。戻らない時間を喰い潰していくことに飽き飽きしている。その姿はどこか浮世離れしているトモロヲさんに重なる。
池田鉄洋と玉置玲央のやりとりが見事。台詞のリズム、テンポが血肉化され、唐戯曲のそれだ、と感じさせる。久しぶりにイケテツさんの怪演を観られたこともうれしい。玉置さんの身体能力はアングラでこう活きるか。観客の視線と心をかっさらう独壇場のシーンもある。福原さんもポイントとなる外界から介入する人物を力業で演じる。あの水量に打たれ乍ら女性を担ぎ続ける体力、そして気力! 苛酷としかいいようのない、本水に打たれ続けるあの状況で演出家が演者とともに舞台に立つ。共犯関係といおうか、あるいは心中か。心中なんてたまったもんじゃねえという演者もいるだろうが、この座組に関しては言葉にしない部分での信頼関係が頼もしさになっているように思う。
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01月27日(土)
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