ID:43818
I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『ボーダーライン』『アルカディア』
『ボーダーライン』@新宿ピカデリー シアター8

おおお、これはリピートしたい…ひっかかる部分もあるのだが、それを凌駕してあまりある魅力に溢れる作品。

原題は『Sicario』。本編冒頭にスペイン語であるこの単語の語源と意味が説明される。このタイトルは本編終了後、もう一度スクリーンに映し出される。静かに、大きく。オープニングとエンディングでは、この単語の重みが一段階違う。「Sicario」が誰のことだったのか、何故その人物は「Sicario」たりえたのかが判明しているからだ。そういう意味ではサスペンスの側面もある。観客は主人公であるFBI捜査官と同様、その内容や真意がわからぬまま作戦の渦中に放り込まれる。自分をスカウトした人物、一緒に行動する人物がどこに所属していて、どこからの命令を受け行動しているかを知らないまま、命懸けの業務をこなさなければならない。次第に彼女は苛立っていく。ここで邦題の『ボーダーライン』を思い出す。彼女は自分たち同様、普通の人間なのだ。彼女をスカウトした側の人間はラインを越える。真実を知ったとしても、彼女はそのラインを踏み越えることが出来ない。原題と邦題、どちらも作品に深みを与える言葉の選択だと思う。両方を知ることが出来たのは、日本で観てよかったと思えること。

主人公は何故スカウトされたか。それは彼女の所属する機関が作戦にとって隠れ蓑、あるいは方便として必要だったからだ。誘拐即応班を指揮する捜査官として彼女は評価されているが、部下を亡くし、自身も怪我をする。自分の仕事に誇りと使命感を持っているが、武装して危険な現場に出向く末端業務だともどこかで思っている。スカウトされた後も自分が全く同じように上層から利用されている、ということに気付いたときの彼女の無力感はいかばかりか。

そこでひっかかる部分。このストーリー自体がキャスティングにも影響を及ぼしているように見えてしまうのだ。コンサルタントを演じるベニシオ・デル・トロが影の主役と言ってもいい重要な人物を演じている。実際ストーリーが進むにつれ、彼の存在感が増す。トップクレジットはFBI捜査官を演じるエミリー・ブラントだが、観終わってみるとそれはデルトロの正体をカモフラージュするためのものに思えてしまう。そしてその「作戦」はうまくいっている。

だからといってブラントは損な役まわりだったとは思わない。スカウト時の面接シーンの「結婚は、子供は」と言う質問は、危険な任務に独断で志願出来るかどうかを確認するためのもので、性別関係なく必要な事項だろう。デルトロが彼女にかける言葉「たいせつなひとに似ている」は思わせぶりだが、その「たいせつなひと」が誰を指すのか終盤に明かされると、ふたりの間に恋愛とは違う、しかし歳の離れた男女間に生まれた感情の交錯を示唆する重要な台詞になっていることが解る。脚本を書いたテイラー・シェリダンは制作側から主人公を男性にするよう提案されたが、首を縦に振らなかったそうだ。だいじなものを失い、その引き換えに手にしたような仕事を淡々と遂行する男性と、男性社会で孤独に陥りそうになり乍らも奮闘する女性の間に生まれる引力。あの余韻は忘れがたい。

「ボーダーライン」を残らず越えたのはデルトロ演じるコンサルタントだけだ。彼だけがトンネルの向こう側へ行く。法は当然、国境も、善悪も、モラルも踏み越える。主人公は彼によって、ラインを越えることを阻止される。去っていく彼を見送る彼女は、まるで捨てられた子供のように映る。ストーリーを横断する、メキシコのとある家族との対比を思う。あの少年と主人公がこの先出会うことはあるだろうか? コンサルタントの忠告通り「ちいさな街へ行け」ば、その人生は交錯することはないだろう。そしてそうあってほしい―ふたりは出会わないでほしい―と思う。


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04月16日(土)
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