ID:43818
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by kai
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■『イントレランスの祭』
KOKAMI@network vol.14『イントレランスの祭』@スペース・ゼロ

久し振りのKOKAMI@network。スペース・ゼロも久し振り。イントレランスとは不寛容のこと。

差別は何から生まれるのか。デマの発信源はどこか、それが拡散される仕組みとは。結局のところ「人類は差別が大好き」で、対象者を貶めるために差別し、嘘をつく。自分が優位に立ちたいという承認欲求の顕れは、自分を守るための手段にもなる。理解しあえないことを憎むのではなく、違いとして受け入れることは出来ないのか? 鴻上尚史はそれらをしっかり見据え、しっかり書く。目をそらさず、何故そういうことをするのか、何故そうなるのかを辛抱強く描く。差別する側もされる側も、同じように見つめる。彼らと同じように悩み、苦しむ。

差別の対象は宇宙人で、ファンタジーの味付けがある。しかし登場人物たちが直面する問題は、現在の日本と全く変わりがない。ヘイトデモはもはや新宿や渋谷、銀座でよく見かける光景だ。証拠捏造、監視社会。秩序を守るための法がザルに見える。人種、性別、職業、収入。あらゆることが憎しみの対象になる。差別されていた側がカウンターとして放つ差別、より弱いものへの皺寄せとしての差別。連鎖は続く。どれも見たことがあり、どれも身に覚えがある。差別する側も、される側も。「私は違う」と言い切れるひとはいない、絶対に。「人類は差別が大好き」、それは否定しようのない事実だ。差別はきっとなくならない。ではその差別をどう受け入れ、断絶せずに共生していくか、それを考えられるのが人類ではないだろうか。

誰もが脛に傷持つ者だが、その根源が恋愛だったりするところは鴻上さんならではだなと思った。彼を自分のものにしたい、彼女に自分だけを見つめてほしい。しかしつきつめればそうかもなあ、と思う。ひととひととの感情のもつれは、一度こじれるとなかなか修復出来ない。嫉妬と猜疑心の力は巨大だ。個人の問題が社会に及ぼす影響は、実はとても大きい。演じる役者はきつかろうと思う。自分のなかにはないと思っていたどす黒い感情を掘り起こしたり、自分が理解出来ないと思っていたことを表現出来る迄学習しなければならない。しかしそこにユーモアや悲哀を見出し、表現するのも役者の仕事だ。出演者は皆素晴らしかった。

宇宙人が差別されている地球人の告白を聞く場面がある。その人物は「あまりにもつらい内容なのでミュージカル仕立てで話す」という。痛みに満ちた差別体験は、歌と踊りにショウアップされる。カラーガードを応用したフラッグアクションは、戦意高揚を煽る行為と紙一重。旗を振るとはどういうことか、ハッとさせられる。エンタテイメントの役割を宣言するかのような、これらのシーンは出色だった。

河野丈洋による劇伴が見事。ミュージカルの楽曲、ラップ部分のバックトラックもいい。NEWS ZEROのオープニング曲を踏襲したような番組テーマ曲も絶妙。演技がダンスへ、ダンスが祝祭空間へ誘う川崎悦子の振付、ダンスと乱闘が交錯する藤榮史哉によるアクションも見応えがある。ちょっとしたタイミングのズレで演者に旗が直撃しそう、イントレを飛びまわるようなシーンもあり、それだけ迫力のあるものが観られるのだが、千秋楽迄事故のないことを祈る。花束から生花の匂いが漂う。終盤舞い散る花びらは造花だがはなやかな彩りで、ひとつひとつ綺麗な花びらの形をしている。勿論紙吹雪でも構わないのだが、こうした丁寧な仕事は、受けとる側にとってとても大きな意味を持つ。鴻上組、流石のスタッフワーク。

久ヶ沢徹が鴻上尚史作品に出るというのが新鮮で今回観劇を決めたのですが、二列目ど真ん中といういい席でして……ジャニーズのひとをこんなに近くで観ることは二度とないであろうという運使い切った感すごい。風間俊介の演技力は過去の作品で思い知っていますが、今回ダンスも堪能出来て楽しかった。キレッキレですがな。あとテンパってくる(役が。彼が演じる人物はよくテンパる。そりゃそうだよね、あの状況……)と寄り目になるというか左右の視線がバラバラになり、歌舞伎のにらみのような凄みがあった。これは間近で観られてよかった。


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04月14日(木)
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