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by kai
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■『杮葺落四月大歌舞伎』初日
歌舞伎座新開場『杮葺落四月大歌舞伎』第一部@歌舞伎座

『御名残四月大歌舞伎』千秋楽から三年、なんだかんだであっと言う間。その短く感じたあっと言う間に、開場を心待ちにしていた役者さんたちが多く旅立ってしまいました。この日記さっき読み返してみたら、勘三郎さんが「新しい劇場で、また沢山夢を見させてもらいましょうよ」と言っていて……。團十郎さんも、こんなことになるなんて。前日から降り始めた雨に、「團十郎さんと勘三郎さんのうれし涙ですねって言ってるけど、くやし涙でしょ」「キー!俺だってここに立つ予定だったのに!ってね」「團十郎さんはキーとか言わないよ。困った笑顔でまあまあ、とか言ってるよ」などと話す。

『杮葺落四月大歌舞伎』、初日に行って参りました。

何から書けばいいやら…舞台上で起こったことは沢山報道もされたし、長年の歌舞伎ファンの方があちこちで書かれていると思います。私もこれからそんなニュースやブログ記事を読みに行きます。楽しみです。こちらでは、舞台外で自分が見た、思ったことを中心に。

勘三郎さんに続き團十郎さんが亡くなったとき、「歌舞伎を観に行くモチベーションが下がった」と言うひとがぽつぽつ周りにいたし、web上でもそんな意見を多く目にしました。新しい歌舞伎座は不吉だ、なんて酷い書き込みを何度も見た。野田さんは、勘三郎さんが亡くなったことを「災害に近い」と言っていた。そんななか、見知らぬひとのとあるツイートに随分心が軽くなったものでした。「歌舞伎座は何度も建て替えてるよ。壊したからどうの、とかやめて。これから新歌舞伎座で役者さんたちが新たな伝説をつくっていく、希望のハコなんだよ。盛り上げていこうよー。」PC画面の前でべそかきましたよ。

過去の歌舞伎座閉場時にも大看板役者が相次いで亡くなったことがある、その都度次世代の役者たちが成長し、危機を乗り越えてきたと言う記事も読んだ。当時の市井の歌舞伎好きたちがどんな世間話をしたか、どう歌舞伎を見守っていたか知る術はない。このときもきっと、今と同じように嘆き悲しみ、将来を不安に思うひとが多くいたのだろう。そのひとたちがその後の歌舞伎を観て「観続けてきてよかった!歌舞伎が好きでよかった!」と思ったのはいつだったのだろう。これからのことは判らない。興味云々だけでなく、自分たちの暮らしに何か重大なことが起こったときは、芝居など観に行けなくなる。役者たちと直接顔を合わす訳でもない、知り合いになることもない。そんな名も知らぬひとたちが、歌舞伎が好きだと言う思いを抱えて歌舞伎座に集まってくる。市井のひとたちの思いを受けて、役者たちは舞台に立っている。離れたひとがまた戻ってきたときも、同じように歌舞伎座で公演を打っているように。

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雨のなか銀座へ。銀座で地下鉄を降り、お弁当を買おうと三越に寄ると、開店したばかりなのにお弁当売り場が活気づいている。観劇弁当花盛り、お店のひとたちが呼び込む呼び込む(笑)。この時点でなんだかジーンときてしまった。街そのものがうきうきしている感じ。篠井英介さん言うところの「歌舞伎座という劇場の威力」は、劇場の外にも及んでいる。この三年の間に閉店してしまったお店もあるけれど…うわーんぎんざ日乃出に戻ってきてほしいよー。とか言いつつ、最近お気に入りの浅草田甫草津亭のお弁当をいそいそと買うのであった。

そのまま地下道を通り大混雑の歌舞伎座地下『木挽町広場』へ。「エクレールカブキ」を販売しているフォションの大行列を遠巻きに眺める。それにしてもエクレールカブキ、アゲハの幼虫ぽい(笑)。エスカレーターをのぼってすぐの歌舞伎稲荷神社にご挨拶、正面玄関へ。おお、銀座に着いてから一度も傘を差さずに入場出来た!地下からアクセス出来る快適さを早速体験。「雨は縁起がいいのよ!」笑顔で颯爽と入場していく和服姿のおばあさま、格好いい!


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04月02日(火)
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