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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■BÉJART BALLET LAUSANNE JAPAN TOUR 2024『バレエ・フォー・ライフ ─司祭館はいまだその魅力を失わず、庭の輝きも以前のまま』
終演後、ジュリアンと十市さんのトークショウ。十市さんは進行に徹して、ジュリアンにインタヴューするという形。妙にかしこまった口調で話したりするもんだから客席から笑いが起こってました。印象に残っているところをおぼえがき。記憶で起こしているのでそのままではありません、ご了承ください。明らかな間違い等ありましたらご指摘頂ければ助かります。公式レポートが出たら(出てくれ〜)差し替えますね。
・『バレエ・フォー・ライフ』フィナーレの演出変更について
変更だとは思っていません。『バレエ・フォー・ライフ』という作品を創りあげたモーリス・ベジャールに敬意を捧げる。本来の姿に戻っただけだと思っています
・芸術監督に就任しての思いなど
オファーがあってから答えを出す迄の猶予は24時間しかありませんでした。でも、幸いなことにわたしはひとりではありません。十市、エリザベット、ドメニコ(・ルヴレ)がいます。それで引き受けることにしました。
芸術監督は作品上演だけでなく、あらゆることに関しての判断を求められます。ベジャールへの敬意をもち作品を残していくこと、ベジャール作品を踊るダンサーが輝くこと。それを続けていくのがわたしたちの使命です。それはジルがやってきたことでもあります。
実際にベジャールから指導を受けたダンサーが減ってきています。わたしも踊ったことがない作品もあります。十市はわたしが踊っていない役をやっています。エリザベット、ドメニコもそうです。映像も参考にします。成熟には時間がかかります。助けが必要です。過去ベジャール作品を踊ったダンサーたち、ベジャールからの言葉を直接聴いているひとたち……ショナ・ミルクらに助言を請うことも出来ます。新しい世代にベジャールの遺産を、透明性のあるカンパニーで、伝えていかなければなりません
・『バレエ・フォー・ライフ』や日本公演での思い出
(ジョルジュ・ドンの出身地)ブエノスアイレスでの公演は、観客が始まる前から興奮していて、広場でクィーンのナンバーを唄ったり、持ってきた旗やメッセージを書いたボードを掲げていたり……もう大騒ぎでした。ジョルジュが登場する「ブレイク・フリー」のときは、スタンディングオベーションと拍手が止まず、まるでロックコンサートのような盛り上がりでした。これこそが、ベジャールのやりたかったことなのではないかと思いました。ベジャールの功績は、バレエをオペラ劇場から解き放ち、もっと広いところ…野外であったり、広場であったり……へと出ていったことにあると思います。
(十市さんにパリのシャイヨー劇場もすごかったよね、といわれ)そう、エルトン・ジョンが唄いに来てくれましたね。クィーンのメンバーも演奏で参加してくれました。
日本での思い出は沢山あります。素晴らしい文化、愛に溢れた観客。そうそう、日本の観客からは(フレディの衣裳にちなんで)バナナをもらったことがありました(笑)
「十市、エリザベット、ドメニコがいる」と何度もいっていたのが印象的でした。ジュリアンが退場したあと、ひとり残った十市さん。どうしても落語家の血が抑えられなかったか「最後に僕からひとつだけ、ジュリアンにはわたし小林十市のお給料をもう少し上げてください、とお願いしたいです! おあとがよろしいようで」と〆ておられました。突然のことだったのでピンスポが追いつかず、暗い地明かりのもと話していた。ウケた。
今後気になるのは『ボレロ』のメロディーの指名権(?)。ベジャール亡きあとジルが決めていたようだけど、今後どうなるのか……BBLだけでなく、上演権がある各国のメロディーも、推薦を受けて最終決定はジルが下していたのでは。日本では東京バレエ団だけが上演を許されており、現在メロディーを踊ることが出来るのは上野水香と柄本弾のみ。
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・スペシャル・インタビュー 小林十市(バレエ・マスター)┃NBS News ウェブマガジン
・ダンサー・インタビュー オスカー・シャコン、大貫真幹┃NBS News ウェブマガジン
十市さんだけでなく、オスカーもジルに呼び戻されたのだとこの記事で知る。
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09月22日(日)
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