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I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
by kai
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■『国際芸術祭「あいち2022」』1日目
真っ暗闇。スピーカーから女性の声が聴こえてくる。ぼんやり立ち尽くしていると、淡い灯りが車椅子を浮かび上がらせる。「乗ってみたいと思いませんか、」と声。事前に説明を受けていたとはいえ、どのタイミングで乗るのかは知らされていないので、この台詞のタイミングで乗るのか、このあと「乗ってください」という声があるのかと迷う。ちなみにTAさんは「ほいほい乗っちゃったあとに『乗ってみたいと〜』っていわれた(笑)」そうで、鑑賞者によって上演時間も多少変動があったのではないだろうか。
車椅子に乗り、指示通りエリア中央に灯った電球を目指す。なんだかハンドリムと車輪が濡れている……? 都度消毒しているからかなあなんて思い乍ら進むと、ピシャ、というような音がする。水だ。フロアに水が張ってある! どのくらいの深さなのか? このまま進んでもいいのか? と迷い、恐る恐る進む。電球を見つめていると、遠くからひとの気配。顔をあげると、スリップ姿の女性が立っている。照明の具合で顔は見えない。彼女はゆっくりと近づいてきて、車椅子の背後にまわり、私の乗った車椅子を押し始める。最後の言葉を合図に、車椅子から立ち上がり、彼女と別れる。最初から最後迄、彼女の顔は見えない。
スピーカーから流れてくる言葉は、身障者の性について。話し手である女性の自慰方法、風俗について。男性には射精介助があるが女性にはない、身障者の女性の性は社会から隠されている。そのことに気付かされる。
前述の『Jokanaan』や『鍼を打つ』(再演希望!)もそうだが、百瀬さんの作品には「容器としての肉体」を再認識させる作品が多いように思う。すなわちセクシュアリティ、ジェンダー、身体の自由/不自由。
鑑賞者の性自認と属性によって受け取り方が変わるかも、という意味ではFestival/Tokyoでやったソ・ヒョンソク『From the Sea』を思い出した。
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・国際芸術祭「あいち2022」中村蓉×今井智景×百瀬文が語る、現在を“STILL ALIVE”する身体┃ステージナタリー
「(『クローラー』について)“Still Alive”と言って気になるのは、今まで隠されてきた人たちのAliveの声。社会の中で、何が見過ごされてきたのかということです。」
・アピチャッポン・ウィーラセタクン『太陽との対話(VR)』@愛知県芸術劇場 大リハーサル室
事前情報でVR酔いするかも、とのことだったので、事前に酔い止め服用。VR体験は『ダークマスター VR』以来、2度目。このときよりゴーグルが軽かった気がする。
前半30分映像(映画)鑑賞、後半30分VR体験の二部構成。指定の時間に集合し、まずはガイダンスを受ける。入場すると、フロア中央にスクリーンが吊るされており、表裏で違う映像が流れている。映像中の人物はどちらも眠っている。
その下を、30分前に入った体験者がVRゴーグルを装着した状態でウロウロしている。スタッフが巡回して、近寄り過ぎた体験者の間に腕を差し込み、衝突を止めたりしている。
正直そっちが気になって、映像に集中出来ない(笑)。流れとしては、スクリーンの中で眠る人々が見ている夢の内容をVRで体験する、という印象。
巨大な太陽が地上から生えてくる。荒廃した星を歩いていると、その土地が足元から崩れていく。宇宙空間をふわふわと上昇する。精度はかなりのもの。足がすくむが、徐々に慣れてきて、星を探検するような気分で歩きまわる。さっき自分が見ていたように、後の入場者が物珍しげに自分を見ているかも、と思うのも面白い。
ガイダンスで「他のVR体験者は光の玉の状態でゴーグルに映るので、距離感の目安にしてください」といわれていた。目の前をふわふわと浮いている光の玉は、蛍のようでもあり、実際には近くにいるのに遠くに見える星のようでもある。
今、このVRを一緒に体験している見ず知らずのひとたちがそれぞれひとつの星になる感覚。
浮上するシーンで、星はほぼ全員動かなくなる。上昇する感覚はVRによるものなので、自身の身体を動かすことは可能なのだが、それでも動かない。
巨大な太陽に呑み込まれてしまう星もいる。自然と悼む気持ちが生まれる。やがて自分もそこへいくのだ。
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10月08日(土)
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